(第96号) ~銃後の祈り~ 千人針 (平成7年7月1日号)

千人針 
微集・召集を受け出征していく兵士たちには、無事と武運長久を願っていろいろな物が家族や友人たちから手渡されました。

 日の丸寄せ書きには、家族や親戚、友人、恩師、隣近所など、交流のあったあらゆる人たちが名前を書き連ねたものです。三島の場合、三嶋大社の宮司さんに頼んで書いてもらった寄せ書きなども見られます。

   当時は、無事に帰還するよりも、華ばなしく闘って戦死することが美徳とされていたもので、無事の帰還を願う言葉などを書くことは出来なかったでしょうが、家族や親戚の本心はやはり無事帰還であったと思われます。  千人針も大切な持ち物の一つでした。晒の布に赤い糸で一人一針ずつ縫ってもらい、千個の縫い玉が完成したものが一般的でした。兵士はこれを常に腹に巻いて戦場に赴いたものだそうです。

   千個の縫い玉で虎を描いたものがあります。虎は「千里行って、千里帰る」といい、武運長久を願う格好のモチーフとされました。また寅年の女性に縫い玉を入れてもらうことは縁起がよく、しかも年齢の数だけ縫えるとされ、寅年で年配の女性は引っ張りだこだったといいます。  千人針には五銭や十銭貨幣も縫い付けられたものです。五銭は「四銭(死線)を越える」、十銭は「九銭(苦戦)を越える」と信じられたからでした。出征ということの厳しさと、それを気遣う家族たちの祈りがうかがわれます。  

 こうした千人針も、戦争拡大の一途をたどるようになった日中戦争以後は、縫い玉を染めた手拭いや、糸や針をセットで商品化した物も出回るようになったといいます。  

 市内元山中と伊豆佐野にある龍爪神社の御札は「弾丸除け」に効果があると信じられていました。兵士を送り出す家族は龍爪神社に兵士の名前を書いた幟を奉納し、替わりに御札をもらって持たせたものでした。
(広報みしま 平成7年7月1日号掲載記事)