(第84号) ~江戸時代の三島の味~ 三島宿本陣の献立 (平成6年6月1日号)
「右之通夕朝献立相違無御座候以上」と結んだ文化15年(1818)寅3月の一通の「覚【おぼえ】には、三島宿本陣の主【あるじ】である樋口傳左衛門の署名が記されています。「覚」の内容は、三島本陣が旅人に出していた朝夕の食事の献立です。江戸時代の三島宿には、常に百件近い旅籠が軒を並べていましたが、格式の高い本陣は2軒、脇本陣は3軒のみでした。本来本陣は、将軍や大名の宿泊施設としての役割を主として各宿場に設けられたものですが、通常の営業には幕府役人や諸藩の武士たちをも泊めていました。献立には、そうした通常の営業の中で作られ、供されていた食事の内容が記されています。現在とは比較にならないほど流通事情の悪かった時代のことですから、献立の中身にも、三島独特のものが盛り込まれたに違いありません。
「覚」には次のような献立が並んでいます。
夕献立 壱汁弐菜 | |
汁 | |
皿 | につけ肴 |
香のもの | |
平 | わらび こうりこんにゃく こごり身 いも すこんぶ |
飯 |
朝献立 壱汁弐菜 | |
汁 | |
皿 | につけ肴 |
香のもの | |
平 | 石やきとうふ |
飯 |
特筆すべきは「こうりこんにゃく(凍り蒟蒻)」と、「石やきとうふ(石焼豆腐)」でしょう。前者はこんにゃくを冬の寒い外気で凍らせた保存食。今では東北地方にしか見られません。後者は豆腐を石の上で焼いた物らしいが、今の三島にはその伝統がありません。
こうした古文献から、むかしの郷土のくらしを発見できます。
(広報みしま 平成6年6月1日号掲載記事)
こうした古文献から、むかしの郷土のくらしを発見できます。
(広報みしま 平成6年6月1日号掲載記事)