(第168号) ~明治文化の薫りを伝える~ 梅御殿の杉戸絵 (平成14年5月1日号)

梅御殿の杉戸絵
 市立公園楽寿園では、毎日二回楽寿館の一般公開を行い、館内に残されている明治の帝室技芸員(人間国宝)の筆による日本画(杉戸絵、襖絵、天井絵)を拝見することができます。

この建物は明治23年(1890)に明治維新で功労のあった小松宮彰仁親王(伏見宮の第八王子)が別邸として建てたものです。
 この時主室の楽寿館のほか、梅御殿、桜御殿などの建物が建てられました。この内梅御殿は小松宮の奥様の部屋だったといわれ、長く緒明家が使用していましたが、市民文化会館建設を機に三島市へ寄贈されました。市では接待所として改修しましたが、ここで使われていた杉戸絵は郷土資料館に収蔵されています。この杉戸絵は明治中期頃、楽寿館の絵師に続く人々によって描かれた日本画の優品です。
 描かれた画題は、中国の故事2点、日本の故事2点、花鳥画2点となっています。
 この内「足柄山(新羅三郎吹笙)図」は、平安時代末、奥州の乱の制定に苦戦している兄源義家を助けるため、東海道を奥州に向かう源義光(新羅三郎)の足柄峠(小山町)での故事です。
 武門の家に育った義光は一方で豊原時忠から笙(和楽器)の手ほどきを受け、秘曲と名器「交丸」を得ました。
 奥州に向かう義光は秘曲が滅びることを恐れ、見送りにきた時秋(時忠の子)に足柄山山中で曲を伝授したと伝えられており、絵はその場面が描かれています。
 この絵からは、武力だけでなく芸術にも通じていることが武士の誉であり、師の恩に報いること、伝統を後の世に伝える大切さも説かれています。絵師は湯川松堂、京都画壇の鈴木百年に学びました。

 梅御殿の杉戸絵にはこの他「経正竹生島詣図」があり、平家の武者が琵琶湖の竹生島にこもり琵琶を奉じた場面ですが、ここにも文武両道の美意識が伺えます。     杉戸絵からは、いにしえの琵琶や笙の音が響いてくるようです。
(広報みしま 平成14年5月1日号掲載記事)