(第105号) ~「三島黌」校舎竣工に寄せられた~ 静岡県令の祝辞 (平成8年4月1日号)
郷土館では企画展「近世の三島の教育」(平成8年3月17日から5月12日)を開催していました。江戸時代の三島宿の塾や寺子屋から明治時代初めの公立学校の創立までの教育の発展に尽くした人物や資料が展示の主な内容のものでした。
その中の一点、明治12年に開校した三島最初の公立学校「三島黌」竣工式に寄せられた「静岡県令の祝辞」を紹介します。
静岡県令は現在の県知事に当たります。当時は大迫貞清が県令を務め、静岡県全体の政治・行政の中心人物でした。その大迫貞清が寄せ、読み上げられた祝辞ですから、この開校式が県をあげての大きな式典であったことを物語るものといえるでしょう。
ところで明治維新後、三島が静岡県に属するまでの間には、二つの県の時代を経ています。維新直後は韮山県(明治元年6月18日から4年11月13日まで)でした。次いで足柄県(4年11月14日から9年4月17日まで)に属します。そして9年4月18日に静岡県となりました。
さて、県令が寄せられた祝辞の内容を要約してみましょう。
「三島は伊豆第一の都会であり、官道(東海道)が通り、商売も繁盛している所です。旧足柄県の時代には県令(柏木忠俊)を長として学校が開かれ今日までいたっており、以来、多くの生徒が集まり、学んだ実績は報告に背くものではありませんでした。(中略)この8月にいたり大土木工事が竣工した(校舎)は広壮にして、美しく(「観美能ク」)更にたくさんの生徒を迎え入れることが出来るでしょう。この竣工にいたるまでの区民(三島町民)の熱意は賞賛に値するものであり、私はこれを祝するために部下を率いて来ました。この学校で、生徒たちがよく学び、才能を磨くことを期待します。」
文面から、県令の賛辞とともに「三島黌」に寄せる期待が伝わってきます。「三島黌」の竣工式典は、明治12年8月15日のことです。
折しも三島は明神の夏祭りの時期。三島町民は重なる大きな喜びに沸き、掲灯行列をして祝ったと伝えられます。
(広報みしま 平成8年4月1日号掲載記事)
その中の一点、明治12年に開校した三島最初の公立学校「三島黌」竣工式に寄せられた「静岡県令の祝辞」を紹介します。
静岡県令は現在の県知事に当たります。当時は大迫貞清が県令を務め、静岡県全体の政治・行政の中心人物でした。その大迫貞清が寄せ、読み上げられた祝辞ですから、この開校式が県をあげての大きな式典であったことを物語るものといえるでしょう。
ところで明治維新後、三島が静岡県に属するまでの間には、二つの県の時代を経ています。維新直後は韮山県(明治元年6月18日から4年11月13日まで)でした。次いで足柄県(4年11月14日から9年4月17日まで)に属します。そして9年4月18日に静岡県となりました。
さて、県令が寄せられた祝辞の内容を要約してみましょう。
「三島は伊豆第一の都会であり、官道(東海道)が通り、商売も繁盛している所です。旧足柄県の時代には県令(柏木忠俊)を長として学校が開かれ今日までいたっており、以来、多くの生徒が集まり、学んだ実績は報告に背くものではありませんでした。(中略)この8月にいたり大土木工事が竣工した(校舎)は広壮にして、美しく(「観美能ク」)更にたくさんの生徒を迎え入れることが出来るでしょう。この竣工にいたるまでの区民(三島町民)の熱意は賞賛に値するものであり、私はこれを祝するために部下を率いて来ました。この学校で、生徒たちがよく学び、才能を磨くことを期待します。」
文面から、県令の賛辞とともに「三島黌」に寄せる期待が伝わってきます。「三島黌」の竣工式典は、明治12年8月15日のことです。
折しも三島は明神の夏祭りの時期。三島町民は重なる大きな喜びに沸き、掲灯行列をして祝ったと伝えられます。
(広報みしま 平成8年4月1日号掲載記事)