山中城秘話
これは、天正18年(1590年)3月28日のことです。
山中城の副将として、岱【だい】崎の出城を手勢100人余りをもって守ることとなった間宮備前守泰俊【びぜんのかみやすとし】は、この朝、秀吉の攻城軍が沼津を出発したと聞きましたので、はやくから死守の決心を固めていました。
そこで、我が子の源十郎に申し含めて、孫の彦次郎(源十郎の息子)を呼ばせました。彦次郎は当年15歳でしたが、けなげにも父や祖父達と、山中城に籠城討死の覚悟を決めておりました。
たった今も、祖父さまが御用と言うので、急いで来て、手をつかえた彦次郎です。 「祖父様、何の用でございますか」 「おお彦よ、お前も良く知っている通り、この度は大事な戦だ。父様も祖父もいよいよこの城で討死と決まった。お前は、今日すぐさま出発して、小田原に行きなさい。そこで間宮の苗字を継がなくてはいけない。 それからは、ただ御主君のお心次第だが、とにかく、早く出発の用意をするのだ。」と、聞いて驚いたのは彦次郎です。 「え、何ということでございます。祖父や父様を見捨てて、ここを去れというのですか。それは出来ません。明日は矢合わせとちゃんと決めています。今日になって、どうして去ることができましょう。祖父様、彦も武士の子であります。祖父様父様が討死の覚悟なら、彦にもその位の覚悟はあります。お願いですから、彦もどうぞ籠城の手の中へ加えてください。」
「いや、それはだめだ。彦よ、籠城討死ばかりが決して忠義ではないぞ。父様や祖父様は、ご君主の命令であるから、決してこの城を去ることは出来ないのじゃ。小田原のご君主の最期を行って見届けたい(君主の最期を守り討死すること)のだが、それが出来ないのじゃ。よいか、今お前に小田原に行けというのは、一つには、ご君主の最期を私たちに代わって見届けてくれと申すのじゃ。いま、お前に対して『出家してこの城を退れよ』というのなら、お前をはずかしめることにもなろう。しかし、この度は私たちが、武士の道をしっかり守って討死するのだから、お前は小田原へ帰ってご主君の最後を見届けてくれというのが、どうしてお前の心に反するのであろうか。な、お前は武士の道を良く知っているであろう。早くここを立って小田原へ行きなさい。もし、それが出来ないなら、それこそ、不忠不孝に当たるぞ。そのような不心得の者は、来世までも勘当であるぞ。」と、涙を流して武士の道を説く泰俊の訓を、彦次郎は涙にむせんで聞きました。
「はい、よくわかりました。仰せの通りにいたします」
「おお、よく申した。さあ、早く行け」
「はい、祖父様、父様、これでお暇致します」
泣く泣く祖父の命令に従って、ただ1人の16歳の少年右衛門【うえもん】(間宮譜代【まみやふだい】の郎党、熊坂某【なにがし】の子)を召し連れて、彦次郎はしおしおと山中城を後にしたのです。
そして、翌日の夜に、山中城がたちまち落城し、城主を始め、間宮父子兄弟戦死の報を耳にして、この2人の少年が、一族や君主のために血の涙を流したことと思われます。
山中城の副将として、岱【だい】崎の出城を手勢100人余りをもって守ることとなった間宮備前守泰俊【びぜんのかみやすとし】は、この朝、秀吉の攻城軍が沼津を出発したと聞きましたので、はやくから死守の決心を固めていました。
そこで、我が子の源十郎に申し含めて、孫の彦次郎(源十郎の息子)を呼ばせました。彦次郎は当年15歳でしたが、けなげにも父や祖父達と、山中城に籠城討死の覚悟を決めておりました。
たった今も、祖父さまが御用と言うので、急いで来て、手をつかえた彦次郎です。 「祖父様、何の用でございますか」 「おお彦よ、お前も良く知っている通り、この度は大事な戦だ。父様も祖父もいよいよこの城で討死と決まった。お前は、今日すぐさま出発して、小田原に行きなさい。そこで間宮の苗字を継がなくてはいけない。 それからは、ただ御主君のお心次第だが、とにかく、早く出発の用意をするのだ。」と、聞いて驚いたのは彦次郎です。 「え、何ということでございます。祖父や父様を見捨てて、ここを去れというのですか。それは出来ません。明日は矢合わせとちゃんと決めています。今日になって、どうして去ることができましょう。祖父様、彦も武士の子であります。祖父様父様が討死の覚悟なら、彦にもその位の覚悟はあります。お願いですから、彦もどうぞ籠城の手の中へ加えてください。」
「いや、それはだめだ。彦よ、籠城討死ばかりが決して忠義ではないぞ。父様や祖父様は、ご君主の命令であるから、決してこの城を去ることは出来ないのじゃ。小田原のご君主の最期を行って見届けたい(君主の最期を守り討死すること)のだが、それが出来ないのじゃ。よいか、今お前に小田原に行けというのは、一つには、ご君主の最期を私たちに代わって見届けてくれと申すのじゃ。いま、お前に対して『出家してこの城を退れよ』というのなら、お前をはずかしめることにもなろう。しかし、この度は私たちが、武士の道をしっかり守って討死するのだから、お前は小田原へ帰ってご主君の最後を見届けてくれというのが、どうしてお前の心に反するのであろうか。な、お前は武士の道を良く知っているであろう。早くここを立って小田原へ行きなさい。もし、それが出来ないなら、それこそ、不忠不孝に当たるぞ。そのような不心得の者は、来世までも勘当であるぞ。」と、涙を流して武士の道を説く泰俊の訓を、彦次郎は涙にむせんで聞きました。
「はい、よくわかりました。仰せの通りにいたします」
「おお、よく申した。さあ、早く行け」
「はい、祖父様、父様、これでお暇致します」
泣く泣く祖父の命令に従って、ただ1人の16歳の少年右衛門【うえもん】(間宮譜代【まみやふだい】の郎党、熊坂某【なにがし】の子)を召し連れて、彦次郎はしおしおと山中城を後にしたのです。
そして、翌日の夜に、山中城がたちまち落城し、城主を始め、間宮父子兄弟戦死の報を耳にして、この2人の少年が、一族や君主のために血の涙を流したことと思われます。