(第6号) 郷土史の原典 『豆州志稿』(昭和62年12月1日号)
三島市指定文化財「豆州志稿」は郷土史の原典と言えます。私達が郷土の歴史や民俗について学ぼうとするとき、まずこの本をひも解かなければ事が始まらないからです。
「豆州志稿」は、安久村(現在の三島市安久)生まれの秋山富南によって編さんされた地歴書で、この中には江戸時代の伊豆国全土の地理、地形、里程、分界、村落、川、渓谷さらに大雨飢疫など天災地変に至るまでが詳細に記録されています。
編者富南は享保八年(1723)に秋山惣右ェ門の長男として生まれました。彼の知性と人格を育てたのは、幼少年時代に出会うことのできた二人の傑出した人物でした。
名僧白隠との出会いは、祖父や叔父の交友関係が機会となりました。禅を通して、生き方の根本を学んだことでしょう。並河誠所は三島の「仰止館」という私塾の師匠でした。師の著した「五畿内誌」は、富南の知識欲を大いに刺激したものでしょう。富南は極めて恵まれた教育的環境のもとに生まれたものでした。
「豆州志稿」編さんに着手したのは、67歳となった寛政元年(1789)のこと。時の代官江川英毅の援助を受けつつ、富南は、門弟や武田善政を伴い老体にムチ打って伊豆全土を調査して回ったと伝えられます。こうして12年目、富南78歳の年に完成の日の目を見たのでした。
今、私達は富南の志稿を増補刊行した、萩原正平父子の「増訂豆州志稿」を手に学習することができますが、これを開く度に郷土の先輩達の偉業を思わずにはいられません。
(広報みしま 昭和62年12月1日号掲載記事)
「豆州志稿」は、安久村(現在の三島市安久)生まれの秋山富南によって編さんされた地歴書で、この中には江戸時代の伊豆国全土の地理、地形、里程、分界、村落、川、渓谷さらに大雨飢疫など天災地変に至るまでが詳細に記録されています。
編者富南は享保八年(1723)に秋山惣右ェ門の長男として生まれました。彼の知性と人格を育てたのは、幼少年時代に出会うことのできた二人の傑出した人物でした。
名僧白隠との出会いは、祖父や叔父の交友関係が機会となりました。禅を通して、生き方の根本を学んだことでしょう。並河誠所は三島の「仰止館」という私塾の師匠でした。師の著した「五畿内誌」は、富南の知識欲を大いに刺激したものでしょう。富南は極めて恵まれた教育的環境のもとに生まれたものでした。
「豆州志稿」編さんに着手したのは、67歳となった寛政元年(1789)のこと。時の代官江川英毅の援助を受けつつ、富南は、門弟や武田善政を伴い老体にムチ打って伊豆全土を調査して回ったと伝えられます。こうして12年目、富南78歳の年に完成の日の目を見たのでした。
今、私達は富南の志稿を増補刊行した、萩原正平父子の「増訂豆州志稿」を手に学習することができますが、これを開く度に郷土の先輩達の偉業を思わずにはいられません。
(広報みしま 昭和62年12月1日号掲載記事)