(第14号) 下駄職人の道具 (昭和63年8月1日号)

 靴が普及する以前は、下駄と草履が日本の履物の主役でした。子供たちは、下駄で学校へ通ったものだそうです。男にも女にも浴衣姿に下駄は欠かせません。この伝統的な下駄の減少は、服装の変化と関係があるようです。
 下駄は、その作りや材質から、遠距離歩行用には向かないが、足裏の保護、雨季の外出用には最適です。古代の下駄が、弥生時代の遺跡の山木遺跡(韮山)や登呂遺跡(静岡)から発見されましたが、それらは路上歩行用ではなく、屋根材として使うカヤ、アシ刈りの時の足を痛めないための履物であろうと推定されます。
 戦前の三島には、下駄を作る下駄職人と販売するだけの下駄屋を合せると、約30軒のいわゆる下駄屋が営業していました。傘と並んで三島の代表的木竹生産物だったそうです。下駄製造者には機械を使って大きくやる人もいました。多くは手作業で作る職人の下駄屋でした。
 職人にとって道具は命でした。製品の出来具合は、半ば道具の良否によると言っても過言ではないそうです。だから、腕利きの職人は良い道具を選び、手入れを怠りません。展示した道具の元の所有者は、この道具が先輩から譲り受けた大切な道具であること、それを自分の手に合うように直して使いこなしたことを、懐かしい思い出として語ってくれました。
 下駄の素材は、キリ・ヒノキ・セン・サワグルミなどの木材が基本です。こうした素材に対して、道具は刃物類が主になります。アリヒキ・アイデヒキなどののこぎり類、ジュウノウ・マルノミなどののみ類、シアゲカンナ・メントリなどのかんな類に大別できます。
 多様な刃型をした道具の一つ一つに、職人気質を感じます。
(広報みしま 昭和63年8月1日号掲載記事)