(第16号) うなぎの寝床 商家の間取り (昭和63年10月1日号)

 のれんをくぐって一歩店に入ると、帳場格子が見えました。畳敷の店先には番頭さん。そろばん、銃籍、帳面等もあります。ここは郷土資料館二階の商家です。
 江戸時代の三島の町並みを描いた「三島宿町軒図」という図面を見ると、東海道をはさんで道の両側に細長い家がびっしりと並んでいるさまがよく分かります。いわゆる「うなぎの寝床」のような商家が建ち並んでいます。
 江戸中期(宝暦九年・1759)の三島宿の記録によれば、町を構成していた商家は、旅館が本陣とはたごを合わせて74軒で最も多く、そのほかに茶屋19軒、酒屋16軒、大工23軒、鍛冶屋10軒等で、はたご以外の商家が87軒ありました。
 さて、このような家はどんな屋敷構えと間取りをしていたのでしょうか。残された図面等から細長い形だけは想像できるのですが、今日、実際にこのような家がなく、確かなことは古老の伝承でしか分かりません。
 往来から大戸を開けて入ると土間があり、そこは店でした。土間は細長い家を突き抜けて裏庭まで続いていました。店の奥には中の間があり、その奥の部屋は座敷でした。勝手場や風呂場は通り抜けの土間を挟んで中の間と座敷の向かい側にありました。座敷からは中庭が眺められ、そこには屋敷神の稲荷社などがまつられていました。屋敷はまだまだ奥に続き、家によっては蔵、あるいは隠居部屋が建っていました。
 前記した町軒図には、区画された各家中に、間口・奥行き・畳数・板敷き坪数・総坪数が各々記載されているのでそれを検討してみると、間口は三間半から七間、奥行きは四、五間から十数間ぐらいで、各戸一様に間口に合わせた長方形家屋でした。
 これが、街道の商家の典型と言えるでしょう。
(広報みしま 昭和63年10月1日号掲載記事)