(第23号) 昔の女性のデザインブックだった 縞帳 (平成元年5月1日号)

 郷土資料館二階の染めと織りのコーナーに、いろいろな道具といっしょに一冊の「縞帳」を展示しています。
 和紙、和綴しの、小型で厚い帳面のどのぺージにも、方形に細かく裂いた木綿の布がていねいに張り付けてあります。縞柄を構成している糸の色は基本的には紺、赤茶と黄で、それぞれの糸の色のリズミカルな組み合わせがさまざまな縞模様を織りなしています。
 それにしても、こんなに多くの縞の布をいつ、誰が、何の目的で集めたものでしょう。
 現代でこそ衣料は買うもの、使い捨ては当然という満ち足りた時代ですが、私たちの祖父や祖母たちの記憶にあるくらい近い過去には、今では考えられないような衣料自給由足の状況がありました。
 手機(てばた)の時代と言えるでしょう。たいていの農家では機織りをしていたものです。材料は自家産の綿花で手作りした糸だったり、出荷して残ったクズマユから作った絹糸だったりしたこともありました。機織りは、女性の仕事です。農作業に、家事に、育児にと目の回るような忙しい日々のなかでの機織りでした。それでも楽しかったと聞きました。なぜならば、機部屋は女性たちが自由な感覚を発揮させることのできる唯一の小さな聖域だったからでした。なによりも、うれしかったのは、機織りは主に子供たちの衣類をこしらえる仕事だったからだと言います。
 縞帳はそうした女性たちのデザインブックでした。一つの反物を織るたびに、その端切れを張ったり、村内で良い縞を織った者がいるとその端切れをもらって張ったりしたものだといいます。このようにして集められた縞の見本は、次に機織りをやる時の縞柄の参考にしたものです。昔の女性の楽しみでもあったのでしょう。
 縞柄の一つ一つに我が子を思う母の愛情を感じます。
(広報みしま 平成元年5月1日号掲載記事)