(第36号) 梅御殿の「郭子儀図」 (平成2年6月1日号)

 今、梅御殿の装飾絵画を展示中です。梅御殿が緒明家から三島市に寄贈され、これを機会に御殿内に残された装飾絵画を展示することになりました。
 梅御殿と聞いても、ご存じない方が多いと思います。これは旧小松宮別邸として、楽寿館などと同時期(明治)に建築きれた純和風の趣きある建物です。御殿は、今まで前楽寿園所有者の緒明家の庭園内にあり、市民には馴染みがありませんでしたが、同家の丁重な保護管理の元に今日まで残ることができたものです。
 御殿を彩るのは杉戸絵です。杉の戸板面に描かれた絵画には、中国や日本の故事を主題としたものや庭園の四季、自然を描いたものなどがあって、それぞれが間取りに応じて優雅に御殿を装飾していました。
 杉戸絵の一点『郭子儀図』を紹介します。郭子儀は中国唐代の武将で、玄宗皇帝の時、安禄山の反乱(755~63)の平定に功を成し、その殊勲第一と認められ、後に家来が3千人、子孫がことごとく栄達を遂げたという出世の見本のような人物でした。その上、郭子儀は長寿でしたから、古来から、しばしば絵画の好画題とされました。図は、郭子儀の着物に触れて戯れる子供とその回りで無邪気に遊ぶ子供を描いたものです。政治家として、武将として頂点を極めた郭子儀が、勇猛な世界から解放されてくつろぐ姿が見事に表現されています。
 作者は湯川松堂です。明治元年和歌山に生まれ、通称を愛之助、別に楽寿と号した画人でした。絵画を近代京都画壇の中心人物だった鈴木百年に学んでいます。明治期の京都画壇は、円山応挙を祖とするいわゆる円山四条派が本流でした。この中には楽寿館の装飾絵画の作者の幸野楳嶺や望月玉泉も入っています。梅御殿の装飾絵画制作が、京都画壇の画家たちや楽寿館の建築などと深い関係を持って進められたことが想像されます。
(広報みしま 平成2年6月1日号掲載記事)