(第45号) 「三島銀行」の看板と 花島兵右衛門 (平成3年3月1日号)

 「株式会社三島銀行」と書いてある木製の看板を展示します。三島に三島銀行?と首をひねられる方も多いかと思いますが、実は昔、本当にあった銀行なのです。銀行所在地は「久保町祓所角」。現在の中央町で、三嶋大社西側の浦島神社方面への曲がり角と言えば、お分かりでしょう。存在したのは明治から大正にかけての頃でした。
 古い書物(明治二十九年発行『三島雑記』)に、同銀行についての記事が次のように載っていました。「明治二十七年十月の起業にして、創業日未だ浅しといへども、基礎強固七万円の資本を以て、三嶋地方経済界の運転手たり、現在積立金千三百五拾円にして利益の配当一年九朱の割合なり、現今に於ける概況左の如し」とあり、左記には 「株数七百株、一株金百円、営業種目は貸付金・諸預金・諸為金・その他銀行営業一般」などとありました。
 三島銀行の頭取は、創業者の花島兵右衛門。役員は取締役兼支配人の河辺喜右衛門でした。花島家も河辺家も、同じ久保町の大きな商家でしたから、そうした関係が両者を結び付け、明治二十七年の開業に至らせたものと思われます。
 ところで、創業者の花島兵右衝門は、三島銀行のほかにも種々の事業を起こし、明治の三島財界の中心となって活躍しています。もっともよく知られた事業に、乳牛牧場を経営し、牛乳販売と練乳(コンデンスミルク)の製造を始めたことがあげられます。花島の練乳は博覧会で受賞するなど「金鵄ミルク」の商標で全国に知られるような名品になっています。このほかに、伊豆鉄道株式会社(現在の伊豆箱根鉄道)の発起創立も彼が中心でした。
 三島銀行は、このような花島兵右衛門の財界活動を支える基礎だったのです。そして、冒頭の看板は当時の活躍の象徴でした。
(広報みしま 平成3年3月1日号掲載記事)