(第54号) 宿場のにぎわいが聞こえる「三島宿風俗絵屏風」 (平成3年12月1日号)

 三島市指定文化財「三島宿風俗絵屏風」(原寸複製・原資料は三島信用金壌蔵)を展示しました。
 六曲一双の屏風に、江戸時代の三島の町の様子が細かく描かれています。作者は幕末頃の絵師小沼満英。絵師は屏風の中に、三島宿の賑わいと、水の町三島の生きた風景を描き出すことに苦心したようです。屏風の前に立って描かれた風景を見ていると、そこには約百五十年前の三島宿の人々の声と清流の音が聞こえてくるように思えます。
 屏風左端には境川と千貰樋。ここは駿河と伊豆の国境。樋は木製、溢れんばかりの水が流れて行きます。小浜の水が隣国駿河の水田を潤していました。広小路には火除の土手。西風による宿場の火災を防ぐために築かれました。源兵衛川の川端には休想しているカゴカキが居ます。せせらぎの静かな流れが彼の疲れをいやしたことでしよう。その下流に、時の鐘が見えます。この鐘は除夜の鐘の音を響かせ、今も市民に親しまれています。江戸時代には、明け六つ、暮れ六つの時を知らせていたものでした。
 宿場風景の中央には、本陣二軒が他の旅籠よりひときわ大きく描かれています。東海道を挟んで世古本陣と樋口本陣。普通の旅籠の間口が四、五間だったのに村して、本陣の間口は十九間もありました。大名や藩役人を休泊させるための施設で、格式を誇りとしていたものです。問屋場は、今の市役所中央町別館の位置に在りました。ここは宿役所。三島宿利用者のチェックに怠り無く、特に公用荷物の中継が役割でした。
 絵師小沼満英が力を入れて描いた所が三嶋明神(三嶋大社)でした。境内の建物のようすや配置がかなり細かく描かれています。三重の塔や仁王像など、神仏分離前の大社の風景が克明です。
 屏風絵の宿場パノラマは新町橋を渡って箱根の坂まで続きます。
(広報みしま 平成3年12月1日号掲載記事)