富士山・名園を書く作家たち

三島ゆかりの作家とその作品

海の名園楽寿園を歌う窪田空穂

窪田空穂
 富士が根につもるらし雪忍水となりて湧き来るこの大きな池
 水底にしづく圓葉(まろは)の青き藻を射し入る光のさやかに照らす
 豪気なる造庭なりやと庭ぬしの心しぬびて見はるかしつも

 明治、大正、昭和の三代にわたって歌壇の大家として名作を残した窪田空穂の楽寿園を歌った歌である。

「元、小松宮の別荘なりしが、後、李王家の有となり、現在は三島の公園となれり。一万八千坪とぞ」

と前書きにある。空穂門下の森伊佐夫の『静岡周辺の空穂先生』の証言を見ると、これは昭和28年の時の作品とあり、従ってこの歌は昭和30年発行の『卓上の灯』の中の歌であることがわかる。昭和39年発行の『木草の共』の中にも、

 物言はぬ人を乗せゆくわが車  ここは三島ぞいづこに曲がる

の歌があり、続いて、

 かかる日に見んと思へや久しくも
 訪はんと言ひし大岡が家

とあって、喀血した空穂が三島市の大岡博につきそわれて東京に帰る時のことを詠んでいる。いずれも三島に縁の深い歌である。

富士山と三島駅を書く立原正秋

 古典美と滅びゆく世界を描く作家として女性ファンを魅了した、今は亡き立原正秋は、その作品『きぬた』の中で主人公を三島に住む縫と設定して、三島駅をひんぱんに舞台として使っている。

「夫とはじめて旅をして戻り三島駅におりたとき、広大な裾野では風が吹き雲からちぎれ、富士はその全容を見せていた」

と描写しているが、三島の富士の雪解水に心理の底を托して、

「清冽の地下水もまた汚れのない歳月をおもいださせてくれる」

と書いている名作『冬の旅』の作者らしく精緻そのものの文章であるが、反面、

「三島駅の新幹線のホームからの眺めはいつも殺風景だった。晴れた日だと裾野の向うに富士が見えるが、そうでない日は駅前の医薬品工場とレーヨン工場の建物しか見えない」

と極めてリアルな表現をしている。やはり三島駅には富士が大切である。



紹介にあたりましては「市制50周年記念誌」を参考にさせていただきました。