わたしの旅~日本の歴史と文化をたずねて~2005

わたしの旅とは

「わたしの旅100選」認定証
 文化庁では、日本人自身や日本を訪れる外国人が、日本の歴史や文化の全体像を理解したり、日本文化の特色をより深く理解することができるよう、「旅」を通じて日本の歴史と文化を訪ねる「わたしの旅」プランを広く募集しました。
 これには全国から786プランの応募があり、選考の結果105プランが100選として選定され、三島市が応募した『井上靖「しろばんば」・「夏草冬濤」の舞台と背景』もその中に選ばれました。

選定対象

『井上靖「しろばんば」・「なつぐさ夏草ふゆなみ冬濤」の舞台と背景』

主催

文化庁

選定発表

平成17年11月12日

認定された事業の背景

 井上靖は明治40年に北海道で生まれ、1歳から13歳までを天城で、15歳から18歳までは沼津と三島を生活の場としていました。井上靖の分身である主人公洪作少年とその仲間たちがいた場所を訪ねます。洪作は大正の頃、小学校時代を湯ケ島で、中学校時代を三島・沼津で過ごしました。作品の舞台は、この二つのエリアに集中しています。湯ヶ島は、子供時代を過ごした自然豊かな所で、おぬい婆さんと暮らした土蔵跡や、湯ヶ島小学校、共同湯などがあります。三島は、青春時代を過ごした、街のにぎわいにあふれた所で、下宿先の伯母さんの家や田町駅等があります。洪作は毎日1時間かけ、三島から沼津の学校までの5キロの道を歩いて通っていました。
 洪作は、『しろばんば』・『夏草冬濤』を通じてこの湯ヶ島と三島のエリアを何回も行ったり来たりしました。また、この道程に添って狩野川が流れており、馬車や軽便鉄道の車窓からそれを眺めては旅情に浸りました。この二つの地域は狩野川によって結ばれています。
「しろばんば」・「夏草冬濤」の舞台と背景(三島市内について)
~三嶋大社~
伯母の家の筋向いに三嶋大社の大島居があります。また、境内の神鹿園の鹿は、"鞄事件"の場面で「仕合せな生きもの」として登場します。
~真門家~
真門家は洪作が下宿していた伯母の家です。そのモデルは間宮家と言い、三嶋大社の筋向いにあります。
~三島名物の「うな丼」~
洪作少年は下宿先から沼津の学校へ通います。三島の繁華街は当時連隊の兵隊や買い物客で賑わっており、この頃から三島のうなぎ料理が有名になっていきます。当時から通学路沿いにあったうなぎ料理店で昼食を取ります。
~馬車と軽便鉄道の旅~
 洪作は、『しろばんば』・『夏草冬涛』を通じて、湯ケ島と三島の間を何回も行き来しています。当時は、湯ケ島から大仁まで馬車で4~5時間、軽便鉄道で大仁から現在の三島田町駅まで約1時間の旅でした。

備考

応募総数786プラン、「わたしの旅」100選に105プラン

担当課

観光推進室