(第225号)今も残る樋口本陣茶室 不二亭 (平成19年2月1日号)

 三嶋大社の社務所北側に茶室があるのをご存知でしょうか。この茶室『不二亭』は、樋口本陣の庭園にあったのを復元保存したものです。

 樋口本陣は、江戸時代、諸大名や諸役人の休憩・宿泊施設で、明治になると、明治天皇がお泊りになる三島の行在所(あんざいしょ)としての栄誉を得ました。行在所とは、天皇が行幸(ぎょうこう)の時に旅先に設けた仮宮のことです。

 行在所に決まると樋口家では、各部の改造・増築・修繕を行い、新たに茶室を築きました。この茶室は、富士山を正面に見ることができるため『不二亭』と名づけられます。茶室のつくりは、本陣の園内にあって富士を眺めることを主眼として設けられたため、一般の茶室とは趣が異なりました。特に床は地上から八尺五寸(約二.六m)も高く、あたかも座敷が二階にあるような雰囲気を醸し出していました。また内部には、三畳の座敷と一畳の水屋を兼ねた控えの間があり、茶室と控えの間の仕切りには円窓(えんそう)を設けています。

 昭和に入ると、本陣屋敷・庭・不二亭などが樋口家の手から離れます。不二亭の取り壊しが決まった時、何とか保存できないかという声が市民から上がり、三嶋大社が譲り受けることになりました。

 昭和二十二年解体された不二亭が大社へ運搬されます。しかし、当時の三嶋大社には復元するための資金が無かったため、広く市民から募金を集めました。戦後の混乱期ということもあり募金活動には四年もの歳月が費やされ、昭和二十七年三月にようやく復元工事が終了します。その工事のおり、床の高さはかなり切りつめられました。また、円窓などの竹格子は、日大軽部(かるべ)慈恩(じおん)教授の手によって復元され、天井には、下田舜堂(しゅんどう)氏により鳳凰(ほうおう)の絵が描かれました。  
  この茶室が現在も三嶋大社に残っていることは、市民でも知らない方が多くなりましたが、樋口本陣に建てられ、明治天皇が座られた茶室は、今も境内にたたずんでいます。   【平成19年 広報みしま 2月1日号 掲載記事(一部修正)】