(第290号)幕末の三島を描いた「末広五十三次」 (平成24年7月1日号)

 今月は昨年寄贈を受けた資料のなかから、幕末の三島を描いた浮世絵「末広五十三次三島」を紹介します。  

末広五十三次 三島
末広五十三次 三島

 『末広五十三次』のシリーズは数名の作者により描かれています。その中の一枚である「三島」は二代歌川広重が描き、慶応元年(一八六五)に発行されたものです。大きさはタテ三十五・四センチ、ヨコ二十四・四センチの大判の浮世絵で、平成二十三年に郷土資料館の運営委員でもある加藤雅功さんより寄贈いただいた三枚の浮世絵のうちの一枚です。  

 三嶋大社の鳥居前は、東海道をテーマにしたいくつもの浮世絵の中で描かれています。その代表的なものである「東海道五拾参次之内 三島 保永堂版」(歌川広重・天保十三年(一八四二)頃)は「朝霧」と呼ばれ、早朝の朝霧の中、箱根峠目指して出発する旅人の背景に、三嶋大社前が描かれています。  

東海道五拾参次之内 三島 朝霧
東海道五拾参次之内 三島 朝霧

 「末広五十三次 三島」を見ると、画面右隅に三嶋大社の鳥居があり、中央に銃を持った兵隊の列、その後ろに騎乗した武士がついています。大社の鳥居の向きから、この軍列が東から西へ移動していることがわかります。  

 この『末広五十三次』は幕末の元治元年(一八六四)、幕府による長州征伐の際の行軍を描いたものであることを考えると、兵隊が鉄砲を担いでいることなども納得がいくのではないでしょうか。  

 ここに描かれた長州征伐は二度にわたって行われますが結局失敗し、その後、大政奉還(慶応三年(一八六七))や旧幕府軍などと新政府軍が戦った戊辰戦争(慶応四年(一八六八))が起こります。戊辰戦争時は、この浮世絵とは反対に、新政府軍が三島宿を西から東へ通過して行きました。  

 戊辰戦争の時期、三島宿は戦火に遭いませんでしたが、慶応四年(一八六八)五月に旧幕臣を中心とした一軍と新政府軍とが一時交戦寸前の状態になります。この騒動の中心となったのもまた三嶋大社の前でした。  

 三島宿に取材した浮世絵は三階常設展示室内にて複製を展示しています。
【平成24年 広報みしま 7月1日号 掲載記事】