(第291号)江戸時代の地震の記録『安政見聞録』 (平成24年8月1日号)
今月は現在開催中の収蔵品紹介展示「災害の記録」(平成二十四年七月二十八日~九月九日)で展示中の『安政見聞録』(服部保徳著)を紹介します。
嘉永七年(一八五四)十一月四日、安政の東海地震(十一月中に安政に改元)が発生、静岡県や愛知県を中心に大きな被害が出ました。三島でも宿場の建物は大社の社殿を含めほとんどが倒壊し、一部では火災も発生しています。また、翌日には安政南海地震が近畿地方に大きな打撃を与え、さらに、翌安政二年(一八五五)十月二日には江戸で直下型の安政江戸大地震が発生しました。
安政期の一連の地震は多くの書籍や文書にも記録されています。そのひとつである『安政見聞録』は当館所蔵の「勝俣文庫」に収められており、安政江戸地震の際のエピソードが集められています。
中心的な話題は地震発生後の庶民のさまざまな行動で、親よりも先に避難しようとして落下物に当たり死んでしまった娘の話、衣類や荷物よりも夫の死骸を守ろうとした妻の話、年老いた親を守った息子の話などが載って います。
親よりも早く道に出ようとし却って災難に遭う娘
節婦が衣類を捨て夫の死骸を箱に収める
また、地震前後に現れた特異な現象も集められています。この中には三島に大きな被害をもたらした安政東海地震に関連するものもあり、旅人が宮宿(名古屋市)と桑名宿(三重県)との間の船上で遭った津波の様子が描かれています。ほかにも著者の知人の話として、旅の途中に地震直後の駿河で、辺りから泥水が噴出し家屋が倒壊した上に泥に埋まってしまった、といった話も載っています。 被害の全体像を示す統計的な数値などはなく、地震の前兆を示すような現象の中には今日の科学的な知見から見て 信憑性の薄いものもあります。しかし、絵入りで描写が細部にまでおよんでいるため、被災時の現場の様子がよくイメージできる本になっています。
駿河の国で大地震の後に泥水が噴出する
宮の港近くで旅人が津波を恐れる
【平成24年 広報みしま 8月1日号 掲載記事】
嘉永七年(一八五四)十一月四日、安政の東海地震(十一月中に安政に改元)が発生、静岡県や愛知県を中心に大きな被害が出ました。三島でも宿場の建物は大社の社殿を含めほとんどが倒壊し、一部では火災も発生しています。また、翌日には安政南海地震が近畿地方に大きな打撃を与え、さらに、翌安政二年(一八五五)十月二日には江戸で直下型の安政江戸大地震が発生しました。
安政期の一連の地震は多くの書籍や文書にも記録されています。そのひとつである『安政見聞録』は当館所蔵の「勝俣文庫」に収められており、安政江戸地震の際のエピソードが集められています。
中心的な話題は地震発生後の庶民のさまざまな行動で、親よりも先に避難しようとして落下物に当たり死んでしまった娘の話、衣類や荷物よりも夫の死骸を守ろうとした妻の話、年老いた親を守った息子の話などが載って います。
親よりも早く道に出ようとし却って災難に遭う娘
節婦が衣類を捨て夫の死骸を箱に収める
また、地震前後に現れた特異な現象も集められています。この中には三島に大きな被害をもたらした安政東海地震に関連するものもあり、旅人が宮宿(名古屋市)と桑名宿(三重県)との間の船上で遭った津波の様子が描かれています。ほかにも著者の知人の話として、旅の途中に地震直後の駿河で、辺りから泥水が噴出し家屋が倒壊した上に泥に埋まってしまった、といった話も載っています。 被害の全体像を示す統計的な数値などはなく、地震の前兆を示すような現象の中には今日の科学的な知見から見て 信憑性の薄いものもあります。しかし、絵入りで描写が細部にまでおよんでいるため、被災時の現場の様子がよくイメージできる本になっています。
駿河の国で大地震の後に泥水が噴出する
宮の港近くで旅人が津波を恐れる
【平成24年 広報みしま 8月1日号 掲載記事】