(第303号)困難を極めた丹那トンネルの工事と開通 (平成25年8月1日号)
今回は、丹那トンネルの工事・開通に関する資料を紹介します。
昭和九年(一九三四)十二月一日、丹那トンネルが開通し、東海道線の交通事情は一気に改善されます。そして、三島市民にとって待望の新三島駅(現在の三島駅)も開業します。丹那トンネルは三島の町に大きな恩恵をもたらしましたが、工事に際しては多くの犠牲や問題も発生しました。
トンネル工事は大正七年(一九一八)四月から開始、十六年におよぶ難工事で、その間、死者を伴う崩落事故も三度起こっています。
工事における最大の問題はトンネルから出る大量の湧水でした。掘削などの作業を困難にしただけでなく、崩落事故の原因となり、また、丹那盆地や周辺の村々に渇水をもたらしました。もともと水の豊富な丹那地区では稲作やワサビ栽培がおこなわれていましたが、次第に飲料水にも事欠くようになりました。この問題は昭和八年、鉄道省からの見舞金と水利組合の設立により一応の解決を見ます。大場の赤王神社には、渇水対策としての簡易水道の布設を記念した「水道記念碑」が建てられています。
下の写真は三点とも丹那トンネルに関連する絵はがきです。
写真①はトンネルの内部で、複線の線路が見えますが、完成当時は複線のトンネルとしては日本最長でした。単線に比べてトンネルの幅が広くなり、それだけ工事が難しかったようです。
写真1トンネル内部
写真②は昭和五年北伊豆地震でできた断層の亀裂です。地震によってトンネル内でも断層のずれが起こり、崩落事故による犠牲者も出ました。
写真2田代地区の断層亀裂
写真③は左側に函南駅が写っています。工事中は湧水の枯渇という問題を抱えた地元でしたが、国鉄への請願によりトンネル開通と同時に駅が設置されることとなり、開業日には花火も打ち上げられ、村内から多くの人が集まってにぎわいました。
写真3函南駅ほか
【平成25年 広報みしま 8月1日号 掲載記事】
昭和九年(一九三四)十二月一日、丹那トンネルが開通し、東海道線の交通事情は一気に改善されます。そして、三島市民にとって待望の新三島駅(現在の三島駅)も開業します。丹那トンネルは三島の町に大きな恩恵をもたらしましたが、工事に際しては多くの犠牲や問題も発生しました。
トンネル工事は大正七年(一九一八)四月から開始、十六年におよぶ難工事で、その間、死者を伴う崩落事故も三度起こっています。
工事における最大の問題はトンネルから出る大量の湧水でした。掘削などの作業を困難にしただけでなく、崩落事故の原因となり、また、丹那盆地や周辺の村々に渇水をもたらしました。もともと水の豊富な丹那地区では稲作やワサビ栽培がおこなわれていましたが、次第に飲料水にも事欠くようになりました。この問題は昭和八年、鉄道省からの見舞金と水利組合の設立により一応の解決を見ます。大場の赤王神社には、渇水対策としての簡易水道の布設を記念した「水道記念碑」が建てられています。
下の写真は三点とも丹那トンネルに関連する絵はがきです。
写真①はトンネルの内部で、複線の線路が見えますが、完成当時は複線のトンネルとしては日本最長でした。単線に比べてトンネルの幅が広くなり、それだけ工事が難しかったようです。
写真1トンネル内部
写真②は昭和五年北伊豆地震でできた断層の亀裂です。地震によってトンネル内でも断層のずれが起こり、崩落事故による犠牲者も出ました。
写真2田代地区の断層亀裂
写真③は左側に函南駅が写っています。工事中は湧水の枯渇という問題を抱えた地元でしたが、国鉄への請願によりトンネル開通と同時に駅が設置されることとなり、開業日には花火も打ち上げられ、村内から多くの人が集まってにぎわいました。
写真3函南駅ほか
【平成25年 広報みしま 8月1日号 掲載記事】