三島の村名9 中島―その1―(中郷地区) (平成28年11月1日号)
中島は中郷地区の大場川と御殿川(梅名川)の合流地点近くにあり、二つの流れに挟まれた集落です。川の中の島のような場所ということからついた地名と言われています。このような立地から、河川改修以前は頻繁に洪水の被害に遭(あ)った土地でした。
中島の名が史料に登場するのは中世のことで、南北朝時代の応安三年(一三七〇)に書かれた寄進状(北条寺文書)にその名を見ることができます。戦国時代には北条氏の所領となります。山中城の戦いの後には、勝った 豊臣秀吉から中島郷や近隣の村々へ、治安維持を約束するので避難先から村へ戻るよう伝える文書が出されました。江戸時代の当初は幕府領でしたが、後に相模(さがみ)の荻野山中(おぎのやまなか)藩領になりました。
集落内には、三嶋大社の守護神で武門の崇敬があつかった左内(さない)神社が鎮座しています。
【広報みしま 平成28年11月1日号掲載記事】
中島の名が史料に登場するのは中世のことで、南北朝時代の応安三年(一三七〇)に書かれた寄進状(北条寺文書)にその名を見ることができます。戦国時代には北条氏の所領となります。山中城の戦いの後には、勝った 豊臣秀吉から中島郷や近隣の村々へ、治安維持を約束するので避難先から村へ戻るよう伝える文書が出されました。江戸時代の当初は幕府領でしたが、後に相模(さがみ)の荻野山中(おぎのやまなか)藩領になりました。
集落内には、三嶋大社の守護神で武門の崇敬があつかった左内(さない)神社が鎮座しています。
【広報みしま 平成28年11月1日号掲載記事】