三島の村名8 鶴喰(つるはみ)―その1―(中郷地区) (平成28年9月1日号)
この珍しい名前の集落は国道一号の南、御殿川中流域にあります。古老の話では、源頼朝がここへ来たとき、たくさんの鶴が餌を取っていたのを見て名付けられたとのことです。
古くは青木、新谷(あらや)、八反畑(はったばた)、藤代町を含めた広い範囲が鶴喰郷(つるはみごう)と呼ばれ、青木御嶽(みたけ)神社の古い棟札(むなふだ)にも「鶴喰郷青木」と記されています。建武元年(一三三四)足利尊氏の文書に「鶴喰」の文字が見え、三嶋大社領であったことがわかります(三嶋大社文書)。
源氏とは縁の深い土地柄で、八幡神社(はちまんじんじゃ)が祀られており、毎月十四日の夜は婦人や老人が 集い「おこもり」を行っていました。また、臨済宗周福寺は、源頼朝がまどろみの松の下の草堂を、鎌倉時代初期に鶴喰へ移したものと伝えられています。
戦前は十二軒と小さな農村集落でしたが、近年は住宅地が造成され、急激に人口が増加しています。
【広報みしま 平成28年9月1日号掲載記事】
古くは青木、新谷(あらや)、八反畑(はったばた)、藤代町を含めた広い範囲が鶴喰郷(つるはみごう)と呼ばれ、青木御嶽(みたけ)神社の古い棟札(むなふだ)にも「鶴喰郷青木」と記されています。建武元年(一三三四)足利尊氏の文書に「鶴喰」の文字が見え、三嶋大社領であったことがわかります(三嶋大社文書)。
源氏とは縁の深い土地柄で、八幡神社(はちまんじんじゃ)が祀られており、毎月十四日の夜は婦人や老人が 集い「おこもり」を行っていました。また、臨済宗周福寺は、源頼朝がまどろみの松の下の草堂を、鎌倉時代初期に鶴喰へ移したものと伝えられています。
戦前は十二軒と小さな農村集落でしたが、近年は住宅地が造成され、急激に人口が増加しています。
【広報みしま 平成28年9月1日号掲載記事】