三島の村名6 御園(みその)(中郷地区)―蔵六寺(ぞうろくじ)― (平成28年6月1日号)
亀霊山(きれいさん)蔵六寺は、前回ご紹介した神明宮(しんめいぐう)から少し歩いた先にあるお寺です。臨済宗円覚寺(りんざいしゅうえんがくじ)派のお寺で、地蔵菩薩を本尊としています。
同寺の創建は古く、天文(てんぶん) 二年(一五三三)に土地の土豪(どごう)であった後藤石見守(いわみのかみ)が正厳和尚(しょうげんおしょう)を招いて開山したと伝えられます。
寺伝によると、この正厳和尚とは、戦国大名小田原北条氏の家臣・笠原(かさはら)新六郎のことであるとされています。笠原新六郎は、かつて清水町徳倉にあった北条氏の支城(本城のほかに領内に設けた城)・徳倉城の城主でした。新六郎は戦国の動乱の最中、一度敵方の武田勝頼(かつより)に降(くだ)りましたが、その後、武田氏の形勢不利を見て再び北条氏のもとに戻ることとなりました。そののち出家して蔵六坊と号し、御園村の十王堂に身を寄せたといい、その十王堂が蔵六寺の起こりであると伝えられています。
【広報みしま 平成28年6月1日号掲載記事】
同寺の創建は古く、天文(てんぶん) 二年(一五三三)に土地の土豪(どごう)であった後藤石見守(いわみのかみ)が正厳和尚(しょうげんおしょう)を招いて開山したと伝えられます。
寺伝によると、この正厳和尚とは、戦国大名小田原北条氏の家臣・笠原(かさはら)新六郎のことであるとされています。笠原新六郎は、かつて清水町徳倉にあった北条氏の支城(本城のほかに領内に設けた城)・徳倉城の城主でした。新六郎は戦国の動乱の最中、一度敵方の武田勝頼(かつより)に降(くだ)りましたが、その後、武田氏の形勢不利を見て再び北条氏のもとに戻ることとなりました。そののち出家して蔵六坊と号し、御園村の十王堂に身を寄せたといい、その十王堂が蔵六寺の起こりであると伝えられています。
【広報みしま 平成28年6月1日号掲載記事】