三島の村名2 安久(やすひさ)村(中郷地区) (平成27年8月1日号)

 安久村は現在の中郷地区、函南町との境に位置します。安久という地名の由来は、地元では「ヤッサー」と発音し八つの沢からきているとも、最初に村を開いた人の名前とも言われています。

 安久荘(しょう)または安久郷(ごう)として中世からこの名を確認でき、天正十八年(一五九〇)の小田原 攻めの際には豊臣秀吉から安久郷ほか九カ所宛てに、豊臣軍の行動を規制して治安維持を保証する内容の掟書(おきてがき)が公布されています。江戸時代以降に安久村となり、明治二十二年(一八八九)に中郷村、昭和二十九年(一九五四)から三島市となりました。

 安久では、源頼朝の代参として征夷大将軍の装束で三嶋大社に詣でる行事が鎌倉時代から明治初頭ごろまで行われており、代参する人のことを「頼朝(らいちょう)」または「在庁(ざいちょう)」と呼びました。参詣で通った道は在庁道(どう)と呼ばれ、一部は拡幅されて現在の国道一三六号となりました。

豊臣秀吉発給の掟書(天正十八年)
▲豊臣秀吉発給の掟書(天正十八年)

【広報みしま 平成27年8月1日号掲載記事】