ふるさとの人物ゆかりの地12 山口余一(やまぐちよいち) (平成27年3月1日号)
山口余一は三島宿大中島(現三島市本町)に生まれ、幕末から明治にかけて活躍した政治家、教育家です。慶応元年(一八六五)に発足した農兵隊の農兵世話向に任命されて以後、韮山中学(現県立韮山高等学校)校長や県民会(現県議会にあたる)議員、伊豆国町村連合会の人民惣代などを歴任し、地域の発展に尽力しました。
三島で漢学塾「千之塾(せんしじゅく)」を開いていた福井雪水の門下であった余一は、漢詩に長け、自身も 多くの若者の教育に当たりました。師匠雪水が亡くなった際は、遺稿集「雪翁遺草(せつおういそう)」を完成 させています。
余一は書が上手く、能書家としても知られており、彼が書した文字は三嶋大社内の日清戦争祝捷碑(しゅくしょうひ)、蛭が島公園の秋山富南碑など現在も多くの石碑に残されています。
▲日清戦争祝捷碑(三嶋大社内)
【広報みしま 平成27年3月1日号掲載記事】
三島で漢学塾「千之塾(せんしじゅく)」を開いていた福井雪水の門下であった余一は、漢詩に長け、自身も 多くの若者の教育に当たりました。師匠雪水が亡くなった際は、遺稿集「雪翁遺草(せつおういそう)」を完成 させています。
余一は書が上手く、能書家としても知られており、彼が書した文字は三嶋大社内の日清戦争祝捷碑(しゅくしょうひ)、蛭が島公園の秋山富南碑など現在も多くの石碑に残されています。
▲日清戦争祝捷碑(三嶋大社内)
【広報みしま 平成27年3月1日号掲載記事】