ふるさとの人物ゆかりの地10 福井雪水(ふくいせっすい) (平成27年1月1日号)
福井雪水は、文化十一年(一八一四)七月、三島宿長谷〈(ちょうや)現在の大社町〉に生まれます。江戸で高名な儒学者に学び、天保九年(一八三八)三島に戻り、自宅に漢学塾「千之(せんし)塾」を開きます。千之塾は約三十年間続けられ、山口余一(やまぐちよいち)や箕田寿平(みたじゅへい)など明治期の田方・三島地域を支える多くの逸材を輩出しました。
幕末の国家多事の際に、諸藩は争って雪水を招こうとしました。それには応じませんでしたが、維新後には、新政府により大学の教官である中博士に任命されています。多くの門人を世に送り出した雪水は、明治三年(一八七〇)五月、満五十五歳で生涯を閉じ、妙行寺(日の出町)に眠ります。著書には明治十九年(一八八六)箕田寿平の息子により出版された「雪翁遺草(せつおういそう)」が残されています。
▲福井雪水筆跡(雪翁遺草より)
【広報みしま 平成27年1月1日号掲載記事】
幕末の国家多事の際に、諸藩は争って雪水を招こうとしました。それには応じませんでしたが、維新後には、新政府により大学の教官である中博士に任命されています。多くの門人を世に送り出した雪水は、明治三年(一八七〇)五月、満五十五歳で生涯を閉じ、妙行寺(日の出町)に眠ります。著書には明治十九年(一八八六)箕田寿平の息子により出版された「雪翁遺草(せつおういそう)」が残されています。
▲福井雪水筆跡(雪翁遺草より)
【広報みしま 平成27年1月1日号掲載記事】