ふるさとの人物ゆかりの地8 井出志摩守正次(いでしまのかみまさつぐ) (平成26年11月1日号)
井出志摩守正次は天正から慶長(徳川幕府成立前後)に三島代官を務めた人物です。今川氏、次いで徳川家康に仕え山中城攻めにも参加しました。
慶長十四年(一六〇九)に家康が上洛する際、正次は富士川に鎖で船を繋いだ船橋を作ることになりました。その船橋は家康が通過した後、鎖が切れて人々が川に流されしまい、正次は家康の元へ報告に向かいます。しかし休憩中の家康を追い抜き、別の人が報告を行うという失敗を犯してしまいます。責任を感じた正次は、三島に戻ると自分が建立(こんりゅう)した蓮行寺(れんぎょうじ)で自害しました。
蓮行寺は昭和三十年(一九五五)に伊豆国分寺と名前を変え、境内には井出志摩守正次の墓が現在も残されています。
【広報みしま 平成26年11月1日号掲載記事】
慶長十四年(一六〇九)に家康が上洛する際、正次は富士川に鎖で船を繋いだ船橋を作ることになりました。その船橋は家康が通過した後、鎖が切れて人々が川に流されしまい、正次は家康の元へ報告に向かいます。しかし休憩中の家康を追い抜き、別の人が報告を行うという失敗を犯してしまいます。責任を感じた正次は、三島に戻ると自分が建立(こんりゅう)した蓮行寺(れんぎょうじ)で自害しました。
蓮行寺は昭和三十年(一九五五)に伊豆国分寺と名前を変え、境内には井出志摩守正次の墓が現在も残されています。
【広報みしま 平成26年11月1日号掲載記事】