ふるさとの人物ゆかりの地7 吉原守拙(よしわらしゅせつ) (平成26年10月1日号)
吉原守拙は、三島における近代教育黎明(れいめい)期の功労者の一人です。
幕末、文武両道の達人の一人といわれ、長沼流兵学(へいがく)や漢学の知識も深く、門人(もんじん)には山岡鉄舟(てっしゅう)、高橋泥舟(でいしゅう)などがいました。
明治初期、三島宿の有志から招かれ教師となり、後に伊豆で一番古い公立学校「三島学校」の校長となりました。
守拙は、三島学校の隣(現在の市役所西北付近)に住み、毎日早朝に法螺(ほら)貝を吹き、鉄の棒を振り回すことを日課とし、鍛錬を怠らなかったそうです。立ち居振る舞いも美しく、誰に対しても親切丁寧な行動は、教師の手本となり、生徒のみならず、校外でも尊敬されました。
三島の教育振興に努め「三島の聖人」と称えられた守拙は、現在、林光寺に眠っています。
▲吉原守拙
【広報みしま 平成26年10月1日号掲載記事】
幕末、文武両道の達人の一人といわれ、長沼流兵学(へいがく)や漢学の知識も深く、門人(もんじん)には山岡鉄舟(てっしゅう)、高橋泥舟(でいしゅう)などがいました。
明治初期、三島宿の有志から招かれ教師となり、後に伊豆で一番古い公立学校「三島学校」の校長となりました。
守拙は、三島学校の隣(現在の市役所西北付近)に住み、毎日早朝に法螺(ほら)貝を吹き、鉄の棒を振り回すことを日課とし、鍛錬を怠らなかったそうです。立ち居振る舞いも美しく、誰に対しても親切丁寧な行動は、教師の手本となり、生徒のみならず、校外でも尊敬されました。
三島の教育振興に努め「三島の聖人」と称えられた守拙は、現在、林光寺に眠っています。
▲吉原守拙
【広報みしま 平成26年10月1日号掲載記事】