ふるさとの人物ゆかりの地6 山本玄峰(げんぽう) (平成26年9月1日号)
山本玄峰老師は、大正四年(一九一五)から昭和二十六年(一九五一)まで龍澤寺(りゅうたくじ)の住職を
務めた名僧です。
沢地の龍澤寺は白隠開基(はくいんかいき)の古刹(こさつ)として有名ですが、玄峰老師が入寺された当時は荒れ果てて廃寺寸前でした。
老師は禅堂の改修に着手して伽藍(がらん)を再興させるとともに托鉢(たくはつ)を通じて禅道を広め、龍澤寺には老師の徳を慕って多くの信者や禅僧が集まるようになりました。
政財界にも老師を師と仰ぐ人が多く、戦争終結にあたって鈴木貫太郎首相が老師を訪れたことも有名です。
昭和三十六年(一九六一)六月三日、「旅に出る、支度をせい。」と言い残して九十六歳で亡くなり、遺骨は龍澤寺ほかゆかりの各地に分骨されています。
【広報みしま 平成26年9月1日号掲載記事】
沢地の龍澤寺は白隠開基(はくいんかいき)の古刹(こさつ)として有名ですが、玄峰老師が入寺された当時は荒れ果てて廃寺寸前でした。
老師は禅堂の改修に着手して伽藍(がらん)を再興させるとともに托鉢(たくはつ)を通じて禅道を広め、龍澤寺には老師の徳を慕って多くの信者や禅僧が集まるようになりました。
政財界にも老師を師と仰ぐ人が多く、戦争終結にあたって鈴木貫太郎首相が老師を訪れたことも有名です。
昭和三十六年(一九六一)六月三日、「旅に出る、支度をせい。」と言い残して九十六歳で亡くなり、遺骨は龍澤寺ほかゆかりの各地に分骨されています。
【広報みしま 平成26年9月1日号掲載記事】