ふるさとの人物ゆかりの地4 宇野朗(ほがら) (平成26年7月1日号)
宇野朗博士は、明治・大正時代に活躍した三島出身の医師です。明治三年(一八七〇)大学東校(現東京大学医学部)に入学、卒業後も大学に残り研究や後進の育成にあたったほか、付属医院長や帝国大学評議員を歴任しました。
明治三十年大学を辞し、東京、浅草に楽山堂病院を開いた博士は三島病院(現三島総合病院)にも毎月出張診察に訪れました。博士の診察は大変な評判で、博士の治療を受けて助からないのであれば悔いはない、とまで言われたそうです。
教育に熱心であった博士は、上京した伊豆出身者を助ける伊豆郷友会(きょうゆうかい)の初代会長を務めるなど育英事業にも多大な貢献を行いました。昭和二年(一九二七)に七十九歳で亡くなった博士は、同じく医師であった父とともに本町の常林寺(じょうりんじ)に眠っています。
▲博士が眠る常林寺(本町)
【広報みしま 平成26年7月1日号掲載記事】
明治三十年大学を辞し、東京、浅草に楽山堂病院を開いた博士は三島病院(現三島総合病院)にも毎月出張診察に訪れました。博士の診察は大変な評判で、博士の治療を受けて助からないのであれば悔いはない、とまで言われたそうです。
教育に熱心であった博士は、上京した伊豆出身者を助ける伊豆郷友会(きょうゆうかい)の初代会長を務めるなど育英事業にも多大な貢献を行いました。昭和二年(一九二七)に七十九歳で亡くなった博士は、同じく医師であった父とともに本町の常林寺(じょうりんじ)に眠っています。
▲博士が眠る常林寺(本町)
【広報みしま 平成26年7月1日号掲載記事】