ふるさとの人物ゆかりの地3 秋山富南(あきやまふなん) (平成26年6月1日号)
秋山章(富南)は江戸時代中期、安久村の人で、『豆州志稿(ずしゅうしこう)』(寛政十二年、一八〇〇
年)を編さんした人物として知られています。この『豆州志稿』は伊豆の代表的な地誌で伊豆全土の地理・地形、村落、自然などをまとめたものです。
富南は『五畿内志(ごきないし)』を編さんし三島で漢学塾を開いた並河誠所(なみかわせいしょ)に教えを受けています。その後も学問の研さんに励み、郷土の子弟の教育にも努めました。
富南が『豆州志稿』の編さんに取り組み始めたのは六十歳を越えてからです。伊豆各地の現地調査を踏まえて完成まで十二年掛けており、その苦労がしのばれます。
富南は幼少のころは病弱でしたが満八十五歳まで長命を保ちました。その墓は安久の生家近くにあり、また、 伊豆の国市の蛭ヶ小島には明治時代に建てられた顕彰碑(けんしょうひ)が残っています。
▲秋山富南翁顕彰之碑(安久・秋山富南墓所)
【広報みしま 平成26年6月1日号掲載記事】
富南は『五畿内志(ごきないし)』を編さんし三島で漢学塾を開いた並河誠所(なみかわせいしょ)に教えを受けています。その後も学問の研さんに励み、郷土の子弟の教育にも努めました。
富南が『豆州志稿』の編さんに取り組み始めたのは六十歳を越えてからです。伊豆各地の現地調査を踏まえて完成まで十二年掛けており、その苦労がしのばれます。
富南は幼少のころは病弱でしたが満八十五歳まで長命を保ちました。その墓は安久の生家近くにあり、また、 伊豆の国市の蛭ヶ小島には明治時代に建てられた顕彰碑(けんしょうひ)が残っています。
▲秋山富南翁顕彰之碑(安久・秋山富南墓所)
【広報みしま 平成26年6月1日号掲載記事】