歴史の偉人ゆかりの地3 宝鏡院(足利義詮) (平成24年6月1日号)
川原ケ谷の宝鏡院は、足利尊氏の三男で室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)の開基と伝えられる寺院です。
義詮は幼少より鎌倉で暮らし、尊氏の政務を助けるため京に上るまで、関東(相模以東の八カ国と伊豆、甲斐)を統治していました。南北朝の動乱で混乱の続く中、将軍となった義詮は戦の平定に務め、幕府政治の安定に尽力しました。死後、遺言により京都の宝筺院(ほうきょういん)に葬られましたが、三島の宝鏡院にも義詮のものとされる墓があります。足利氏が逆賊(ぎゃくぞく)とされていた戦前には隠されていたのか、戦後屋 根裏から位牌(いはい)が見つかり、今では大切に安置されています。
宝鏡院には、六代将軍の次男で伊豆で亡くなった堀越公方(ほりごえくぼう)足利政知(まさとも)も葬られており、寺宝である「左文字の釜」は足利家から奉納されたものだと言われています。
【広報みしま 平成24年6月1日号掲載記事】
義詮は幼少より鎌倉で暮らし、尊氏の政務を助けるため京に上るまで、関東(相模以東の八カ国と伊豆、甲斐)を統治していました。南北朝の動乱で混乱の続く中、将軍となった義詮は戦の平定に務め、幕府政治の安定に尽力しました。死後、遺言により京都の宝筺院(ほうきょういん)に葬られましたが、三島の宝鏡院にも義詮のものとされる墓があります。足利氏が逆賊(ぎゃくぞく)とされていた戦前には隠されていたのか、戦後屋 根裏から位牌(いはい)が見つかり、今では大切に安置されています。
宝鏡院には、六代将軍の次男で伊豆で亡くなった堀越公方(ほりごえくぼう)足利政知(まさとも)も葬られており、寺宝である「左文字の釜」は足利家から奉納されたものだと言われています。
【広報みしま 平成24年6月1日号掲載記事】