三島の歌碑・句碑14 夕立や 我が田畠では なけれども ―六花庵乙児― (平成22年2月1日号)
本来の句碑とは異なり、加茂川町の賀茂川神社境内には六花庵乙児(ろっかあんおつじ)の句が刻まれた石燈篭(いしどうろう)があります。乙児は江戸中期に、駿府の商家に生まれ、本名を松木五郎右衛門といい、芭蕉門大島蓼太(りょうた)門下の俳人として知られています。駿河国(するがのくに)吉原に六花庵を構え、のちに駿府にも同庵を結んだといわれています。
この石燈篭は、雨乞(あまごい)燈篭と呼ばれ、むかし能因(のういん)法師が歌の徳により旱天〈(かんてん)雨が降らず日照りが続く天候〉に雨を降らせたという伝説に因(ちな)み、「夕立や我が田畠ではなけれど も」の句を刻んで寄進したと伝えられています。
現在の燈篭は、昭和57年に新しく作られ、神社に寄贈されたもので、江戸時代からの雨乞燈篭は、三嶋大 社、社家村と変遷し、昭和の初めに賀茂川神社に遷(うつ)されましたが、昭和40年代に行方不明となりました。
▲雨乞燈篭(賀茂川神社境内)
【広報みしま 平成22年2月1日号掲載記事】
この石燈篭は、雨乞(あまごい)燈篭と呼ばれ、むかし能因(のういん)法師が歌の徳により旱天〈(かんてん)雨が降らず日照りが続く天候〉に雨を降らせたという伝説に因(ちな)み、「夕立や我が田畠ではなけれど も」の句を刻んで寄進したと伝えられています。
現在の燈篭は、昭和57年に新しく作られ、神社に寄贈されたもので、江戸時代からの雨乞燈篭は、三嶋大 社、社家村と変遷し、昭和の初めに賀茂川神社に遷(うつ)されましたが、昭和40年代に行方不明となりました。
▲雨乞燈篭(賀茂川神社境内)
【広報みしま 平成22年2月1日号掲載記事】