三島の歌碑・句碑11 箱根八里の 馬子唄消へて 今は大根を 造る歌 ―源水― (平成21年11月1日号)
これは、平井源太郎(号・源水)が創作した「三島大根生産都々逸(どどいつ)」の一節です。都々逸とは七・七・七・五の音律で作る定型詩です。
源太郎は、明治15年(1882)現在の中央町で生まれました。生産農家と庶民のため商道改革を訴える一方、三島民謡「農兵節」と共に三島大根を大々的に宣伝し、特に大阪市場開拓に貢献しています。
「広い野原に生れた私し 末は都の膳に上る 山家育ちのあの大根にも 云ふに云われぬ味がある 色も姿も程よく出来た 元は二人でまいた種 三島名物大根と私し 色が白くて味がよい」冒頭に続くこの全文には、三島大根の特長が見事に詠み込まれています。
昭和15年(1940)、58歳でその生涯を閉じました。
▲箱根大根恩人碑(箱根松並木入口)
【広報みしま 平成21年11月1日号掲載記事】
源太郎は、明治15年(1882)現在の中央町で生まれました。生産農家と庶民のため商道改革を訴える一方、三島民謡「農兵節」と共に三島大根を大々的に宣伝し、特に大阪市場開拓に貢献しています。
「広い野原に生れた私し 末は都の膳に上る 山家育ちのあの大根にも 云ふに云われぬ味がある 色も姿も程よく出来た 元は二人でまいた種 三島名物大根と私し 色が白くて味がよい」冒頭に続くこの全文には、三島大根の特長が見事に詠み込まれています。
昭和15年(1940)、58歳でその生涯を閉じました。
▲箱根大根恩人碑(箱根松並木入口)
【広報みしま 平成21年11月1日号掲載記事】