三島の歌碑・句碑10 浪の秀(ほ)に 裾洗はせて 大き月 ゆらりゆらりと 遊ぶがごとし 博 (平成21年10月1日号)
この句は、歌人・教育者として、また詩人大岡信(おおおかまこと)の父としても有名な大岡博(ひろし・1907-1981)が詠んだ句です。
この碑は、画家下田舜堂(しもだしゅんどう)が委員長となり建設委員会が設置され、昭和61年10月1日博の5回目の命日に建立されました。
博は、明治40年静岡市生まれ、少年期より三島に定住。県教職員組合委員長、県児童会館初代館長、県歌人協会初代会長など要職を歴任され、国文学者で歌人窪田空穂(くぼたうつぼ)門の重鎮として歌に命を懸け、74歳で亡くなるまで清貧の生涯をおくりました。
歌碑の背面には、「大いなる月影に自己の生命観を投入した秀吟で、作者自讃(じさん)の作でもあった」と長男の信がこの句を説明しています。
【広報みしま 平成21年10月1日号掲載記事】
この碑は、画家下田舜堂(しもだしゅんどう)が委員長となり建設委員会が設置され、昭和61年10月1日博の5回目の命日に建立されました。
博は、明治40年静岡市生まれ、少年期より三島に定住。県教職員組合委員長、県児童会館初代館長、県歌人協会初代会長など要職を歴任され、国文学者で歌人窪田空穂(くぼたうつぼ)門の重鎮として歌に命を懸け、74歳で亡くなるまで清貧の生涯をおくりました。
歌碑の背面には、「大いなる月影に自己の生命観を投入した秀吟で、作者自讃(じさん)の作でもあった」と長男の信がこの句を説明しています。
【広報みしま 平成21年10月1日号掲載記事】