三島の町名いまむかし10 昭和40年以降の住居表示整備 (平成20年12月1日号)
前号までに紹介しました、昭和40年4月1日の大規模な第1次住居表示整備事業は、主として三島の旧市街地に大幅な町名変更をもたらしました。
住居表示整備はその後も引き続き実施され、昭和41年1月1日には第2次実施区域として文教町1・2丁目、加茂川町、富田町、南二日町が新設されました。そして昭和48年1月1日には第3次実施区域として、末広町、幸原町1・2丁目、徳倉1~5丁目、富士ビレッジが新設されました。
また平成14年1月1日には徳倉の一部を徳倉3丁目に編入し、最近では平成16年1月1日に旭ヶ丘町、川原ヶ谷(旭ヶ丘町)と山田の一部を旭ヶ丘としました。
旧町名にはその土地の歴史的な背景が、新町名には将来に向けた人々の思いが込められています。
【広報みしま 平成20年12月1日号掲載記事】
住居表示整備はその後も引き続き実施され、昭和41年1月1日には第2次実施区域として文教町1・2丁目、加茂川町、富田町、南二日町が新設されました。そして昭和48年1月1日には第3次実施区域として、末広町、幸原町1・2丁目、徳倉1~5丁目、富士ビレッジが新設されました。
また平成14年1月1日には徳倉の一部を徳倉3丁目に編入し、最近では平成16年1月1日に旭ヶ丘町、川原ヶ谷(旭ヶ丘町)と山田の一部を旭ヶ丘としました。
旧町名にはその土地の歴史的な背景が、新町名には将来に向けた人々の思いが込められています。
【広報みしま 平成20年12月1日号掲載記事】