三島の町名いまむかし6 久保(くぼ)町・田町(たまち) (平成20年8月1日号)
久保町は現在の中央町、田町は中央町・中田町・南田町・北田町にまたがる地域で、両町ともに江戸時代初
期からある三島宿の町名です。久保町は宿内の町の中で最も低い地帯に位置し窪(くぼ)んだ土地であること
から、また田町は田畑が散在する低湿地が多かったことから命名されたといわれています。
久保町は三島宿の中央に位置し、街道の両側には旅籠(はたご)が並び問屋場〈といやば(通行する大名や役人の人足(にんそく)、馬の提供や荷物積替への引継ぎ事務を行なっていたところ〉が設けられていました。ちょうど現在の三島中央町郵便局から北側に延びたところで、その南北の道は問屋小路(といやこうじ)と呼ばれていました。問屋場周辺は人足部屋や馬指(うまさし)屋敷などが軒を並べ、宿駅や助郷(すけごう)の人馬・荷物を差配(さはい)する人たちの活気にあふれていたといわれています。
▲中央町の問屋小路付近
【広報みしま 平成20年8月1日号掲載記事】
久保町は三島宿の中央に位置し、街道の両側には旅籠(はたご)が並び問屋場〈といやば(通行する大名や役人の人足(にんそく)、馬の提供や荷物積替への引継ぎ事務を行なっていたところ〉が設けられていました。ちょうど現在の三島中央町郵便局から北側に延びたところで、その南北の道は問屋小路(といやこうじ)と呼ばれていました。問屋場周辺は人足部屋や馬指(うまさし)屋敷などが軒を並べ、宿駅や助郷(すけごう)の人馬・荷物を差配(さはい)する人たちの活気にあふれていたといわれています。
▲中央町の問屋小路付近
【広報みしま 平成20年8月1日号掲載記事】