三島の町名いまむかし4  大中島(おおなかじま)町・小中島(こなかじま)町  (平成20年6月1日号)

 大中島町・小中島町は、江戸時代、東海道三島宿が成立当初から中心的な宿場の町として栄えました。大中島町は現在の広小路町・本町・南本町にまたがる地域で、また小中島町は本町・南本町にまたがる地域です。両町とも川に挟まれ、四ノ宮川(四ノ宮は楽寿園内の小浜池にある広瀬神社といわれています)を境として隣接し、 大中島町は源兵衛川と四ノ宮川に挟まれた大きな中の島、小中島町は四ノ宮川と御殿川に挟まれ小さな中の島であったところから、町名になったと言われています。江戸時代、この街道沿いには大きな旅宿が軒(のき)を連ねており、ことに小中島町には樋口家と世古家の両本陣が街道を挟んで門を構え、脇本陣も小中島には銭屋(ぜにや)・大和屋(やまとや)が、大中島には綿屋(わたや)があり、多くの旅人で賑(にぎ)わいました。

三石神社付近から本町交差点方面
▲三石神社付近から本町交差点方面

【広報みしま 平成20年6月1日号掲載記事】