箱根西坂の史跡7 山中城跡(やまなかじょうあと) (平成19年8月1日号)
山中城は、戦国時代の後北条(ごほうじょう)氏が箱根西麓の中腹に創築した山城です。創築年代は不明ですが、武田軍の『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』永禄(えいろく)12年(1569)に見えることから、この頃には存在したものと思われます。
この城は障子堀(しょうじぼり)や畝堀(うねぼり)、角馬出(かくうまだし)などの北条流築城術の粋が随処に見られるとともに、標高580m、箱根の急斜面といった自然の要害を最大限に生かした城でした。
天正18年(1590)3月29日、天下統一を前に小田原征服を目指す豊臣勢7万に対し、北条勢わずか4 千で抗戦しましたが、半日で落城し、以後は廃城となります。
昭和9年には国の史跡に指定。現在では史跡公園として復元整備され、毎年春になるとツツジが見事な花を咲かせています。また平成18年には日本100名城にも選定されています。
【広報みしま 平成19年8月1日号掲載記事】
この城は障子堀(しょうじぼり)や畝堀(うねぼり)、角馬出(かくうまだし)などの北条流築城術の粋が随処に見られるとともに、標高580m、箱根の急斜面といった自然の要害を最大限に生かした城でした。
天正18年(1590)3月29日、天下統一を前に小田原征服を目指す豊臣勢7万に対し、北条勢わずか4 千で抗戦しましたが、半日で落城し、以後は廃城となります。
昭和9年には国の史跡に指定。現在では史跡公園として復元整備され、毎年春になるとツツジが見事な花を咲かせています。また平成18年には日本100名城にも選定されています。
【広報みしま 平成19年8月1日号掲載記事】