箱根西坂の史跡6 宗閑寺 (平成19年7月1日号)
宗閑寺は、山中公民館のとなり、山中城三の丸の裏手にある浄土宗のお寺です。山中城守備軍副将間宮康俊 (まみややすとし)の娘が亡き父を弔うために創建しました。創建の時期については、慶長10年(1605)と元和(げんな)6年(1620)の二説があります。
間宮康俊は、戦国時代最大の攻城戦と言われている山中城の合戦で、豊臣軍に敗れ戦死します。天正18年(1590)3月29日のことです。
このお寺の珍しい点は、敵でありこの合戦で戦死した一柳伊豆守直末(ひとつやなぎいずのかみなおすえ) の墓もあるというところです。また、隠れ切支丹(きりしたん)の墓かどうか、現在も定かではありませんが、山中城主松田直長(まつだなおなが)の墓にはクルス紋があり、また十字花形文様が浮き彫りされている墓もあります。
戦国から江戸にかけて、人々の複雑な思いが交錯しているお寺です。
【広報みしま 平成19年7月1日号掲載記事】
間宮康俊は、戦国時代最大の攻城戦と言われている山中城の合戦で、豊臣軍に敗れ戦死します。天正18年(1590)3月29日のことです。
このお寺の珍しい点は、敵でありこの合戦で戦死した一柳伊豆守直末(ひとつやなぎいずのかみなおすえ) の墓もあるというところです。また、隠れ切支丹(きりしたん)の墓かどうか、現在も定かではありませんが、山中城主松田直長(まつだなおなが)の墓にはクルス紋があり、また十字花形文様が浮き彫りされている墓もあります。
戦国から江戸にかけて、人々の複雑な思いが交錯しているお寺です。
【広報みしま 平成19年7月1日号掲載記事】