箱根西坂の史跡1  脚気(かっけ)地蔵  (平成19年2月1日号)

 箱根峠近くに立つ脚気地蔵(親知らず地蔵)と呼ばれる地蔵尊碑には次のような物語があります。

 安永の頃、大阪の呉服商堺屋十郎兵衛は、家出息子の喜六が箱根で雲助をしているという噂を聞き、旅に出ますが、箱根峠近くまで辿り着くと、もう日暮れ時でした。その時、突然持病の脚気に襲われ苦しんでいたところ、息子の喜六が通りかかります。が、喜六はこの老人が父親だとは夢にも思いません。喜六が駆け寄って抱き寄せた時、老人の懐(ふところ)から財布が抜け落ちるのを見て、道中差(どうちゅうざし)で老人の息の根を止め、金を奪い一目散(いちもくさん)に坂を下りました。しかし、喜六は奪った財布の名札から老人が父親であることを知って後悔し、翌朝、山中新田の宗閑寺(そうかんじ)で自害しました。

 この地蔵尊碑は、土地の人々が2人の冥福を祈り建てたものです。

【広報みしま 平成19年2月1日号掲載記事】