三嶋暦のはなし2 三嶋暦師河合家 (平成17年5月1日号)
三嶋暦は大宮町の河合家が代々発行してきました。同家の伝承によれば、奈良時代後期の宝亀(ほうき)年間(770~780)に、祖先が山城国(京都)賀茂より豆州三島に下り、その子孫の河合氏が代々暦を発行してきたとあります。奈良時代という起源は定かではありませんが、同家は明治18年まで頒暦(はんれき)に携わりました。
また同家屋敷内には天文台があったといわれ、貞享(じょうきょう)の改暦(1685年)によって幕府の統一的な暦が版行(はんこう)される以前は、河合家独自で天体観測しながら暦を計算し発行していたと思われます。
現在も残る河合家の家屋は、幕末に十里木の関所の建物を移築したものといわれています。
4月29日にオープンした「三嶋暦師の館」では、江戸時代から続く河合家の建物を公開しています。
【広報みしま 平成17年5月1日号掲載記事】
また同家屋敷内には天文台があったといわれ、貞享(じょうきょう)の改暦(1685年)によって幕府の統一的な暦が版行(はんこう)される以前は、河合家独自で天体観測しながら暦を計算し発行していたと思われます。
現在も残る河合家の家屋は、幕末に十里木の関所の建物を移築したものといわれています。
4月29日にオープンした「三嶋暦師の館」では、江戸時代から続く河合家の建物を公開しています。
【広報みしま 平成17年5月1日号掲載記事】