ふるさとの人物から12 山本玄峰老師(龍沢寺) (平成17年3月1日号)
玄峰老師は沢地の龍沢寺(臨済宗、妙心寺派)を中興した高僧です。
玄峰老師の名を高めたのは、昭和20年前後、終戦から新憲法制定にいたる時期の日本の進路決定にあたり、求められて政治家たちに助言をしていたことです。
時の鈴木貫太郎首相には「日本は大関である。大関らしく負けなきゃいかん」「忍びがたきを忍べ」と諭したといいます。これは終戦時の天皇の言葉に生かされています。また老師が語った「天皇は空に輝く象徴」という考えが新憲法に影響したと伝えられています。
弟子たちには厳しい指導者でしたが、沢地や三島の人々には温かく接し、多くの書画を残しています。神や仏の名、禅語、また富士山や誕生した子どもの絵など、求めに応じて墨書されました。老師は昭和36年6月、96歳の生涯を閉じます。
【広報みしま 平成17年3月1日号掲載記事】
玄峰老師の名を高めたのは、昭和20年前後、終戦から新憲法制定にいたる時期の日本の進路決定にあたり、求められて政治家たちに助言をしていたことです。
時の鈴木貫太郎首相には「日本は大関である。大関らしく負けなきゃいかん」「忍びがたきを忍べ」と諭したといいます。これは終戦時の天皇の言葉に生かされています。また老師が語った「天皇は空に輝く象徴」という考えが新憲法に影響したと伝えられています。
弟子たちには厳しい指導者でしたが、沢地や三島の人々には温かく接し、多くの書画を残しています。神や仏の名、禅語、また富士山や誕生した子どもの絵など、求めに応じて墨書されました。老師は昭和36年6月、96歳の生涯を閉じます。
【広報みしま 平成17年3月1日号掲載記事】