ふるさとの人物から6  吉原守拙(よしわらしゅせつ) (明治の聖人、教育者)  (平成16年9月1日号)

 明治に入ると、社会は急激な近代化が始まります。この時、三島宿の重鎮たちは、優れた教育者による近代教育こそ三島発展の礎である、と考えていました。

 こうして招かれたのが「三島の聖人」と伝えられる吉原守拙(しゅせつ)です。伊豆長岡町古奈で成長した守拙は10代で江戸にて漢学、兵学を修め、幕臣吉原氏を継ぎ与力となりますが、明治になり、三島に帰ります。

 博学な知識と見識により守拙とその養子吉原呼我(こが)が招かれ、明治5年(1872)5月、近代的学校「開心庠舎(かいしんしょうしゃ)」が開設されます。8月の学制頒布(はんぷ)により、すぐ新学制に切り替え、翌6年「三島黌(みしまこう)」と改め、後に官立学校となります。

 この学校では教科書出版を行い、明治12年には県下第一といわれた洋風校舎が建ち、校長守拙と共に、三島の教育文化の象徴でした。

【広報みしま 平成16年9月1日号掲載記事】