ふるさとの人物から5 世古六太夫直道(せころくだゆうなおみち) (世古本陣当主) (平成16年8月1日号)
江戸時代に繁栄を極めた三島宿その本陣職を務めた最後の当主が世古六太夫直道です。
1838年(天保9)、川原ヶ谷の栗原家に誕生し、15歳で世古本陣家の養子となります。
本陣主や問屋役を務めていた幕末、江川農兵の世話係として薩摩浪士を取り締まり、明治元年に三島宿を挟んで幕府方と官軍が対峙(たいじ)した時は両者の調停を図り、三島宿は戦火に巻き込まれる危機から救われました。
明治時代、小学校の先駆け「開心庠舎(かいしんしょうしゃ)」を開設し、教育者吉原守拙(しゅせつ)を招きます。また三島の通信運輸業の礎を築いていきました。
東海道線開業の影響で、三島宿が衰退したため、1895年、沼津牛伏に旅館三島館を建て移り住み、著名人と交流し、1915年78歳で没します。墓は長円寺にあります。
【広報みしま 平成16年8月1日号掲載記事】
1838年(天保9)、川原ヶ谷の栗原家に誕生し、15歳で世古本陣家の養子となります。
本陣主や問屋役を務めていた幕末、江川農兵の世話係として薩摩浪士を取り締まり、明治元年に三島宿を挟んで幕府方と官軍が対峙(たいじ)した時は両者の調停を図り、三島宿は戦火に巻き込まれる危機から救われました。
明治時代、小学校の先駆け「開心庠舎(かいしんしょうしゃ)」を開設し、教育者吉原守拙(しゅせつ)を招きます。また三島の通信運輸業の礎を築いていきました。
東海道線開業の影響で、三島宿が衰退したため、1895年、沼津牛伏に旅館三島館を建て移り住み、著名人と交流し、1915年78歳で没します。墓は長円寺にあります。
【広報みしま 平成16年8月1日号掲載記事】