ふるさとの人物から4 矢田部盛治(やたべもりはる) (三嶋大社) (平成16年7月1日号)
伊豆一ノ宮として長く県東部の住民や武士の信仰を集めてきた三嶋大社、古代からその神主を務めているのが矢田部家です。
三島宿の教育文化の発展にも尽力した代々の神主の中でも、矢田部式部盛治は幕末、維新の三島を守った人物でした。
1824年に掛川藩家老職橋爪家に誕生し、20歳で矢田部家の養子となり、1850年家督を継ぎます。
1854年の安政の大地震で全壊した大社の建物を復興するため、全国を行脚(あんぎゃ)し勧進〈かんじん(募金)〉をつのり1869年、現在に見る建物群の再建を果たします。維新の混乱時には伊豆の神官たちを集め伊豆伊吹隊(いぶきたい)を結成して三島を守り、また、祇園山トンネル(水路)を開き現在の加茂川町一帯に10ha以上の新田開発を行います。三島宿民に慕われ、1871年48歳で亡くなります。
【広報みしま 平成16年7月1日号掲載記事】
三島宿の教育文化の発展にも尽力した代々の神主の中でも、矢田部式部盛治は幕末、維新の三島を守った人物でした。
1824年に掛川藩家老職橋爪家に誕生し、20歳で矢田部家の養子となり、1850年家督を継ぎます。
1854年の安政の大地震で全壊した大社の建物を復興するため、全国を行脚(あんぎゃ)し勧進〈かんじん(募金)〉をつのり1869年、現在に見る建物群の再建を果たします。維新の混乱時には伊豆の神官たちを集め伊豆伊吹隊(いぶきたい)を結成して三島を守り、また、祇園山トンネル(水路)を開き現在の加茂川町一帯に10ha以上の新田開発を行います。三島宿民に慕われ、1871年48歳で亡くなります。
【広報みしま 平成16年7月1日号掲載記事】