ふるさとの人物から3 秋山富南(あきやまふなん)の墓〈安久(やすひさ)〉 (平成16年6月1日号)
伊豆の歴史、地理、民俗などを調査する研究者たちが、江戸時代の伊豆を調べるために必ず目を通す地誌書があります。『豆州誌稿(ずしゅうしこう)』伊豆の百科事典で、全ての町村集落の沿革歴史から寺社の由緒(ゆいしょ)、川、橋、山、滝、温泉、港や特産品、人物、古墳など、多岐にわたり編纂(へんさん)された13巻の書物です。
これを編纂した秋山富南(1723~1808)は三島市の南、安久の旧家に生まれ、並河五一(なみかわごいち)の漢学塾に学び感化を受けました。後に自邸でも塾を開き子弟の教育にあたります。富南が伊豆の地誌編纂を思いたったのは66歳の時といわれ、12年の歳月をかけて伊豆の村々を実地踏査し、編集を重ね、寛政12年(1800)完成した『豆州誌稿』と地図を幕府に献上しています。この年に全国測量を開始した伊能忠敬(いのうただたか) の地図に劣らない業績です。
【広報みしま 平成16年6月1日号掲載記事】
これを編纂した秋山富南(1723~1808)は三島市の南、安久の旧家に生まれ、並河五一(なみかわごいち)の漢学塾に学び感化を受けました。後に自邸でも塾を開き子弟の教育にあたります。富南が伊豆の地誌編纂を思いたったのは66歳の時といわれ、12年の歳月をかけて伊豆の村々を実地踏査し、編集を重ね、寛政12年(1800)完成した『豆州誌稿』と地図を幕府に献上しています。この年に全国測量を開始した伊能忠敬(いのうただたか) の地図に劣らない業績です。
【広報みしま 平成16年6月1日号掲載記事】