(第358号)聖火リレーと複製三四呂人形― 新規収蔵品展より―(平成30年3月1日号)

郷土資料館で現在開催中(現在は終了)の企画展「新規収蔵品展」より、聖火リレーの資料と複製三四呂人形第一号を紹介します。

六十代以上の人々には鮮明な記憶として残っている東京オリンピック(一九六四年十月)。敗戦から復興し、高度成長期に入り、生活の電化・欧米化が進み、未来は明るいと信じられていた時代でした。  

このオリンピック開会式前に聖火リレーが全国を走っています。三島にも聖火がやってきました。

寄贈された聖火リレー資料(ランニング、写真、手ぬぐい、バッジなど)の中の「三島市実施要項」によると、十月六日午後二時に三島広小路駅の西方で聖火を受け取り、大社前の通りを通過し、国道一号を箱根峠までリレーしました。三島市の担当区間は新町橋西までの1.6kmと、そこから初音松並木入口までの1.7kmの二区間でした。それぞれ二十三人のリレー隊員がおり、十四~二十歳の三島の住人で中・高・大学生および社会人の若いチームです。参加校は、中学は北、南、東、坂、佐野、中郷中学校。高校は三島日大、北、南、韮山、修善寺工、沼津市立高校の名が見えます。  
聖火リレー

▲昭和39 年(1964 年)の東京オリンピックで、三島にもやって来た聖火リレー



「走行の要領・受渡の要領」には「全員足並みをそろえて走る」「時速十二km」「受渡し後、正走者は十秒間六十度の角度で高くトーチをかかげる」などの指示がみえます。隊列や走り方、トーチと五輪旗受渡しの手順が細かく決められており、世界に恥ずかしくないオリンピックにしたい、という思いが伝わってきます。

当時中学生で参加した資料寄贈者は、「六十代後半になりましたが、二年後の東京オリンピックにも再び聖火リレーで参加したい。」と元気に話しています。

また、元教育長増島芳衛氏が愛蔵していた複製三四呂人形第一号「人形持ち」の寄贈を受けました。

三四呂人形は三島出身の人形作家・野口三四郎(一九〇一~三七)によって作られ、子どもを題材とした、主に張子の技法による作品「桃子」「里子」などが多数あります。

三四郎没後の一九五六年、県校長協会総会が三島市で開催された時、校長先生たちへのお土産として、三四呂人形の複製品を思いついたのは当時の教育長増島氏でした。陶器で「人形持ち」の複製品を作り、彩色を施して配られました。制作したのは美術教諭の遠藤春雄氏、瀬川真氏、宇野東光氏、大沼貞夫氏などでした。人形の裏に「三島校長会」などの朱印が押されています。

翌年、三島母親の会により複製三四呂人形の製作販売が始まり、長く伊豆・三島の土産となります。

【広報みしま 平成30年3月1日号掲載記事】