(第366号)地域の歴史 大場と大場駅(平成30年11月1日号)

今回は市南部の中心、大場駅周辺を紹介します。


大場は大場川下流の東に広がる水田地帯です。古くは北沢、上沢(函南町)とともに佐婆郷(さばのごう)の一村でした。約二百年前の地誌『豆州志稿』を見ると「大場の地名は場所が大きいことによる」「伊豆山(神社・熱海市)の古記録には大庭(おおば)と記され、天正十八年(一五九〇)の太閤文書に澤郷(さわのごう)とあり後に古名に戻して大場となった」といった解説がされています。

またこの集落は、伊豆半島を南北に縦断する下田街道の途中にあり、東へ向かうと日金山(ひがねさん)(十国峠の麓)や、伊豆の東海岸・熱海などへ通じる分岐点で、交通の要衝でした。


大場が大きく発展するのは明治三十一年(一八九八)、豆相鉄道(ずそうてつどう、後の駿豆鉄道〈すんずてつどう〉、現在の伊豆箱根鉄道)が開通し、大場駅が開業した頃からです。

その後、大正七年(一九一八)に箱根山の下を通る鉄道のトンネル開削工事が始まります。それまで箱根山の北側を回っていた(現在の御殿場線経由)東海道線は、この丹那トンネル開通により、東京―神戸間の距離と乗車時間が大幅に短縮されました。丹那トンネルは、開通までに十六年の工期と多くの犠牲者を出して、昭和九年(一九三四)に完成し、長く日本一の長さ(全長約七千八百m)を誇りました。

トンネルの西側の入口は現在の函南町大竹(おおだけ、函南駅の東側)です。工事に必要な大量の資材は鉄道を利用して運ばれ、東海道線三島駅(現在の下土狩駅・長泉町)から駿豆鉄道を経由し、大場駅で降ろされました。駅の東側一帯は広大な資材置き場でした。大場駅から工事現場まで軌道が敷設され、軽便鉄道が多くの作業員や資材を運んでいました。 

昭和初期の大場駅周辺には、丹那トンネル工事の関係者が集まり暮らしていました。そこに昭和五年十一月、丹那盆地を震源とする北伊豆地震が発生します。当時の大場の総戸数二四九戸の内、住居の全壊一五一棟・半壊六一棟、死者九人・負傷者五十人という大きな被害を受けています。

この震災からの復興事業が進められ、トンネル工事景気も加わり、大場駅周辺は地域の中心となる商店街に生まれ変わっていきます。トンネル工事が終わると、資材置き場などには、乳製品工場、製靴工場が建ち、工業地域化が始まりました。

大場駅は一二〇年にわたり大場の変貌を見守り続けています。


大場神社祭典

▲昭和15 年(1940 年)7月大場神社の祭典




企画展「近代三島を作った人々-後期:経済・文化編-」を開催! 開催期間は平成30年10 月13 日(土)~平成31 年1月3日(木)です。


【広報みしま 平成30年11月1日号掲載記事】