(第394号)新規収蔵資料 津田家文書から酪農・練乳関係資料(令和3年3月1日号)
今回は令和3年3月20日(土祝)から開催予定の新規収蔵品展に関連して、今年度寄贈を受けた津田家文書を紹介します。
津田家は、江戸時代に山中新田で茶屋を営んでいた家で、紀州徳川家とつながりがあったほか、箱根西坂の人馬施業所(接待茶屋)の運営にも参画していました。その後現在の二日町に移住し、明治時代には酪農事業も行いました。
津田家が酪農にたずさわるのは、三島で練乳などの乳加工業を興し、地域に酪農を広めた花島兵右衛門に関係があります。兵右衛門の息子で津田家の養子となった津田守三は、実父兵右衛門らとともに三島種牛場の経営にあたりました。
今回寄贈を受けた津田家の資料の中には、兵右衛門の乳加工業に関する資料が含まれていました。花島家が経営していた極東煉乳株式会社のカレンダーや、同社の主力商品のひとつである「金線ミルク」の名前を掲げた商店の写真がありました。どこの店舗を写したものかは不明ですが、「Ningyocho Photographic」とあることから、東京にあった店舗の外観写真と推測できます。そのほかさまざまな製造元の練乳ラベルが多数含まれており、ライバル会社の製品を研究していたことをうかがわせます。
古文書では、練乳製造に使う砂糖についての請願書がありました。これは、日露戦争後の不況下に砂糖消費税が増税され、製造に砂糖を多く使用する練乳製造業者が大打撃を受けた際、業界を挙げてこの撤廃を請願したことに関する資料です。この運動では、当時国内屈指の練乳製造業者の一人であった花島兵右衛門も大きく関係しており、花島家の事績をたどる上で貴重なものと考えられます。
そのほか、牛の売買記録など牧場(豊牧舎や三島種牛場)に関する資料も含まれており、この地域における酪農の歴史を考える上で大切な資料です。
郷土資料館では、三島の指定文化財である花島家文書を所蔵しており、調査研究を進めてきました。今回寄贈を受けた資料は、花島家文書と強く関係しており、双方をあわせて検討することでこの地域の酪農や乳加工業の歴史をより明らかにすることができる、貴重な資料といえます。
【広報みしま 令和3年3月1日号掲載記事】
津田家は、江戸時代に山中新田で茶屋を営んでいた家で、紀州徳川家とつながりがあったほか、箱根西坂の人馬施業所(接待茶屋)の運営にも参画していました。その後現在の二日町に移住し、明治時代には酪農事業も行いました。
津田家が酪農にたずさわるのは、三島で練乳などの乳加工業を興し、地域に酪農を広めた花島兵右衛門に関係があります。兵右衛門の息子で津田家の養子となった津田守三は、実父兵右衛門らとともに三島種牛場の経営にあたりました。
今回寄贈を受けた津田家の資料の中には、兵右衛門の乳加工業に関する資料が含まれていました。花島家が経営していた極東煉乳株式会社のカレンダーや、同社の主力商品のひとつである「金線ミルク」の名前を掲げた商店の写真がありました。どこの店舗を写したものかは不明ですが、「Ningyocho Photographic」とあることから、東京にあった店舗の外観写真と推測できます。そのほかさまざまな製造元の練乳ラベルが多数含まれており、ライバル会社の製品を研究していたことをうかがわせます。
金線ミルクの名前を掲げた商店の写真
さまざまな練乳ラベル
古文書では、練乳製造に使う砂糖についての請願書がありました。これは、日露戦争後の不況下に砂糖消費税が増税され、製造に砂糖を多く使用する練乳製造業者が大打撃を受けた際、業界を挙げてこの撤廃を請願したことに関する資料です。この運動では、当時国内屈指の練乳製造業者の一人であった花島兵右衛門も大きく関係しており、花島家の事績をたどる上で貴重なものと考えられます。
そのほか、牛の売買記録など牧場(豊牧舎や三島種牛場)に関する資料も含まれており、この地域における酪農の歴史を考える上で大切な資料です。
郷土資料館では、三島の指定文化財である花島家文書を所蔵しており、調査研究を進めてきました。今回寄贈を受けた資料は、花島家文書と強く関係しており、双方をあわせて検討することでこの地域の酪農や乳加工業の歴史をより明らかにすることができる、貴重な資料といえます。
【広報みしま 令和3年3月1日号掲載記事】