(第401号)地域の歴史―玉川・堀之内―(令和3年10月1日号)
今回は中郷地区に位置する玉川(たまがわ)と堀之内(ほりのうち)についてご紹介します。
玉川地区は伊豆国と駿河国の境を流れる境川(さかいがわ)の東岸に位置し、東は大字(おおあざ)新谷(あらや)に、西は駿東郡清水町玉川に接しています。
「玉川」は「玉河」とも記され、鎌倉時代の史料にその地名をみせています。富士山の伏流水が湧き出る玉川池 (丸池/まるいけ) 、そこから流れる玉川からとられた名称と考えられます。また、「堀之内」はまわりに堀を巡らせたような地形にちなんだ地名と考えられ、隣接する平田(ひらた)と同じ村であったとされており、平田新田(ひらたしんでん)といわれた時期もあるといいます。
明治22年(1889)、中郷村の大字玉川・堀之内となり、中郷村と三島市の合併後は三島市玉川・堀之内に、昭和45年には玉川と堀之内が合併して三島市玉川になりました。こうして、もとは玉川と堀之内は別の村でしたが一つにまとまりました。
さて、みなさんは玉川が伊豆いちごの発祥地であることをご存知でしょうか。富田町(とみたまち)にある 中郷温水池(なかざとおんすいち)のほとりに、伊豆いちご発祥にまつわる顕彰碑(けんしょうひ)が建 っています。この顕彰碑は伊豆いちごの育ての親、堀井政吉(ほりいまさきち)氏(三島市玉川出身)の功績を称えて昭和31年9月に静岡県苺協会東部連合会によって建立されたものです。
政吉氏は、昭和6年静岡歩兵連隊を除隊の際、久能(くのう/静岡市)より分けてもらった苺の苗で試験栽培を始めました。そして昭和10年頃、水田裏作として本格的に栽培を始め、昭和初期の農業恐慌の打開策として村の人々にもこの苺の栽培をすすめました。これを契機に伊豆地域での苺栽培が広まったため、玉川が伊豆いちごの発祥地といわれるようになりました。
昭和13年には玉川に近隣の集落、清水村(しみずむら)、江間村(えまむら)などを含めた広域的な組織である丸玉(まるたま)苺出荷組合が設立されました。東京市場への出荷が開始され、たちまち玉川苺(たまがわいちご)として名声を上げました。戦前は玉川の特産として、戦後は伊豆一円に広まり栽培され、農家の大きな収入源となりました。昭和40年代以降は、商業施設・工場・住宅が次々と建設され、中郷地域の農地減 少にともなって苺の栽培も減少しました。しかし、おいしい苺づくりの研究と努力を続けてこられた農家さんによっておいしい三島産の苺が今でも食卓に届けられています。
【広報みしま令和3年10月1日号掲載】
玉川地区は伊豆国と駿河国の境を流れる境川(さかいがわ)の東岸に位置し、東は大字(おおあざ)新谷(あらや)に、西は駿東郡清水町玉川に接しています。
「玉川」は「玉河」とも記され、鎌倉時代の史料にその地名をみせています。富士山の伏流水が湧き出る玉川池 (丸池/まるいけ) 、そこから流れる玉川からとられた名称と考えられます。また、「堀之内」はまわりに堀を巡らせたような地形にちなんだ地名と考えられ、隣接する平田(ひらた)と同じ村であったとされており、平田新田(ひらたしんでん)といわれた時期もあるといいます。
明治22年(1889)、中郷村の大字玉川・堀之内となり、中郷村と三島市の合併後は三島市玉川・堀之内に、昭和45年には玉川と堀之内が合併して三島市玉川になりました。こうして、もとは玉川と堀之内は別の村でしたが一つにまとまりました。
さて、みなさんは玉川が伊豆いちごの発祥地であることをご存知でしょうか。富田町(とみたまち)にある 中郷温水池(なかざとおんすいち)のほとりに、伊豆いちご発祥にまつわる顕彰碑(けんしょうひ)が建 っています。この顕彰碑は伊豆いちごの育ての親、堀井政吉(ほりいまさきち)氏(三島市玉川出身)の功績を称えて昭和31年9月に静岡県苺協会東部連合会によって建立されたものです。
政吉氏は、昭和6年静岡歩兵連隊を除隊の際、久能(くのう/静岡市)より分けてもらった苺の苗で試験栽培を始めました。そして昭和10年頃、水田裏作として本格的に栽培を始め、昭和初期の農業恐慌の打開策として村の人々にもこの苺の栽培をすすめました。これを契機に伊豆地域での苺栽培が広まったため、玉川が伊豆いちごの発祥地といわれるようになりました。
昭和13年には玉川に近隣の集落、清水村(しみずむら)、江間村(えまむら)などを含めた広域的な組織である丸玉(まるたま)苺出荷組合が設立されました。東京市場への出荷が開始され、たちまち玉川苺(たまがわいちご)として名声を上げました。戦前は玉川の特産として、戦後は伊豆一円に広まり栽培され、農家の大きな収入源となりました。昭和40年代以降は、商業施設・工場・住宅が次々と建設され、中郷地域の農地減 少にともなって苺の栽培も減少しました。しかし、おいしい苺づくりの研究と努力を続けてこられた農家さんによっておいしい三島産の苺が今でも食卓に届けられています。
【広報みしま令和3年10月1日号掲載】