(第410号)江戸時代のすごろく―道中双六(どうちゅうすごろく)―(令和4年8月1日号)
今回は、企画展「このへん道中いまむかし 富士・沼津・三島の観光」の展示資料の中から、東海道の道中双六について紹介します。
すごろくといえば、振り出しからサイコロの目に従ってマス目を進み、途中の苦難(振り出しに戻されるなど)を乗り越え、上がりを目指す、そんなシンプルなゲームです。
性別や年齢を問わず、みんなで一緒に楽しめる遊びであり、家族や友達と遊んだことがある人も多いのではないでしょうか。そんな身近な遊び道具である絵入りのすごろく「絵双六(えすごろく)」は、江戸時代にも庶民の遊び道具として存在していました。
当時の各地への旅行を主題とした「道中双六」は、江戸時代後期に盛んに出版されるようになりました。江戸幕府によって街道が整備されると宿場や沿道は往来する人々でにぎわい、多くの旅人が全国各地を巡るよう になりました。
そうした旅の盛り上がりは、庶民の間でも広がりました。旅が身近なものとなった時代背景も相まって、紙上で手軽に旅の楽しみが味わえる遊びとして道中双六が人気を集めました。
今回紹介する「東海道五十三駅 道中記細見双六(どうちゅうきさいけんすごろく)」はそのような道中双六のひとつで、京都の浮世絵師・梅川東拳(とうきょ、画号:好美斎(こうびさい))が描いたものです。
道中双六には様々な街道を取り上げたものがありますが、その中でも東海道を描いたものが大きな割合を占めていました。この双六は、「振り出し」の江戸の日本橋を出発し、東海道の宿場をまわって京都の三条大橋 と御所の「上がり」を目指す仕組みとなっています。
内容を見てみると、箱根の関所では関所手形を忘れ振り出しに戻るなど、実際の旅の様子がルールとして採用されています。また、宿場間の距離や、吉原宿(富士市)の「名所ひだりふじ」、府中宿(静岡市)の「名物あべ川もち」といった各地の名所・名物も記載されています。
本資料は表題の「道中記」(当時の旅行案内書)という言葉が示すとおり、ちょっとした旅行ガイドのような性格を持っていたようです。
【広報みしま 令和4年度8月1日号掲載】
すごろくといえば、振り出しからサイコロの目に従ってマス目を進み、途中の苦難(振り出しに戻されるなど)を乗り越え、上がりを目指す、そんなシンプルなゲームです。
性別や年齢を問わず、みんなで一緒に楽しめる遊びであり、家族や友達と遊んだことがある人も多いのではないでしょうか。そんな身近な遊び道具である絵入りのすごろく「絵双六(えすごろく)」は、江戸時代にも庶民の遊び道具として存在していました。
当時の各地への旅行を主題とした「道中双六」は、江戸時代後期に盛んに出版されるようになりました。江戸幕府によって街道が整備されると宿場や沿道は往来する人々でにぎわい、多くの旅人が全国各地を巡るよう になりました。
そうした旅の盛り上がりは、庶民の間でも広がりました。旅が身近なものとなった時代背景も相まって、紙上で手軽に旅の楽しみが味わえる遊びとして道中双六が人気を集めました。
今回紹介する「東海道五十三駅 道中記細見双六(どうちゅうきさいけんすごろく)」はそのような道中双六のひとつで、京都の浮世絵師・梅川東拳(とうきょ、画号:好美斎(こうびさい))が描いたものです。
東海道五十三駅道中記細見双六
道中双六には様々な街道を取り上げたものがありますが、その中でも東海道を描いたものが大きな割合を占めていました。この双六は、「振り出し」の江戸の日本橋を出発し、東海道の宿場をまわって京都の三条大橋 と御所の「上がり」を目指す仕組みとなっています。
内容を見てみると、箱根の関所では関所手形を忘れ振り出しに戻るなど、実際の旅の様子がルールとして採用されています。また、宿場間の距離や、吉原宿(富士市)の「名所ひだりふじ」、府中宿(静岡市)の「名物あべ川もち」といった各地の名所・名物も記載されています。
マス目として登場する三島宿新町橋付近
本資料は表題の「道中記」(当時の旅行案内書)という言葉が示すとおり、ちょっとした旅行ガイドのような性格を持っていたようです。
【広報みしま 令和4年度8月1日号掲載】